
終わりの見えないコロナ禍。
緊急事態宣言が延長されましたが、やっぱりなという感じです。制限、制限で、不自由な生活に息が詰まりますよね。
そして、「不自由だ」どころではない方が、数多くおられる現状があります。
今回の記事は、困難な状況の中で見出す「人生の意味」について、フランクルの言葉から考えてみたいと思います。
苦しい現実の中で

厚生労働省は、令和2年度は11年ぶりに自殺者が増加したと発表しています。
そこにあるのは、困窮と孤立。
特に女性と、10代・20代の若い世代の自殺者が増えていると聞きます。
コロナのことだけじゃない。
人生には理不尽なことが、たくさんあります。決して人生は平等なんかじゃない。
あなたも、「なぜ自分が、こんな目に遭わなければいけないのか」と、やりきれない気持ちになっている一人かもしれません。
だけど、「それでも、人生には意味がある」と言ったのは、オーストリアの精神科医、フランクルでした。
彼は、ユダヤ人強制収容所の地獄を生き延び、そこでの経験をもとにそう言ったのです。
収容所で見出した「人生の意味」

人生には意味がある。
ただし、フランクルが強調していたのは、「その意味は、本人が見出すものだ」ということでした。
つまり、「どんなに悲惨な状況の中でも、人生の意味を見出すことができれば、人は生きていける」ということなんです。
フランクルは、強制収容所の非人間的状況の中で、ある想像が彼を支えたと語っています。
素晴らしいホールで自分が講演をしている想像・・・心理学者である自分が、強制収容所での経験を学問的に考察し大勢の観衆の前で語っている姿。
彼は、心理学者・精神科医としての意味をそこに見出したことで、絶望に呑み込まれずにいられたのでした。
フランクルは、苦しみの中で意味を見出した他の囚人の例も挙げています。
「自分はどんなに苦しんでもいい、その代わりに妻や子供たちを助けてほしい」と祈った男性がいたそうです。
それ以来、彼の受ける苦しみは意味のあるものになりました。つまり、「自分が苦しんだ分、妻子は助かるんだ」ということになったのです。実際にその願いがかなっているのかどうかなど、別々の収容所にいるのだから確かめようもないのだけれど・・・とにかくそれが、彼がその理不尽な人生に見出した「意味」だったのです。
生きるための「課題」をみつける

もうひとつ、フランクルは、ある映画の一場面を例に出して語っています。
「赤い風車」という映画の中で、画家がガス自殺を図る場面があるのだそうです。ガス栓から、シューとガスが流れ出したそのとき、彼は、部屋に立てかけていた自分自身の作品に、失敗箇所を見つけるのです。
画家は飛び起きて、絵に筆を加えて修正します。そしてガス栓を閉め、死を思いとどまったのでした。
フランクルは言います、「彼が生きることができたのは、課題をみつけ、取り組んだからだ」と。
何らかの、成し遂げるべき課題。
それは、人生が「この状況で、あなたは何をしますか」と投げかける問いへの応答なのです。
今は意味が見えなくても

人生からの問いは、時に重く、苦しい。でも、どうか生き抜いてください。
小さなことでいいのです。今日できる、何かひとつのことをみつけてください。
今は何もみつからないなら、それでもいい。
いつか、この辛い日々は、このためだったんだとわかる日がきっと来る。
いつかあなたに助けてもらうはずの誰かのために、
今は何もしなくてもいいから、どうぞ生きていてください。
今回の記事は、「夜と霧」みすず書房 「宿命を超えて、自己を超えて」春秋社 を参考にしました。
フランクルの著書、ぜひ手に取ってみてください。