幸せな気分と、幸せな状態はちがう?

 

幸せって、なんだろう?

何を幸せとするかは、人それぞれなんだろうけど、
「しあわせである」ということと、「しあわせだと感じる」ことは別なんじゃないか?ということを、今回は考えてみます。

幸せって何だろう?

JAFの会員になっていると毎月届く冊子「JAF Mate」。この巻頭に「しあわせって何だろう」というタイトルのリレーエッセイが掲載されています。いろいろな方が、それぞれの思う「幸せ」について書いていて、毎回「ふむふむ」と興味深く読んでいます。

 

そして2021年10月号では、小説家の万城目学さんが「作家のしあわせ」と題して書かれていました。

 

要約すれば、
「小説を書くというのは、ひたすら苦しく、まったく楽しくない。しかし小説家になる以前の私は、『小説家になることが自分の幸せ』だと思っていた。ならば小説家になった自分は、しあわせなはずだよね?」。

 

夢は実現した。しかし楽しくない。

じゃあ、「しあわせとは何なんだ?」ということですね。

「しあわせな状態」と「しあわせな気持ち」

万城さんは、こう言います。

私はしあわせには二つの形態があると看破した。
すなわち、「しあわせな状態」と「しあわせな気持ち」である。

「作家のしあわせ」 万城目学

楽しくない仕事に従事して全く望ましくない生活の中でも、ビールを飲んで「しあわせな気持ち」を得ることはできるよね、と例を挙げたうえで、さらにこう言います。

私の日常はこの正反対だった。
しあわせな気持ちを感じることはないが、状態としては極めてしあわせなのである。

「作家のしあわせ」 万城目学

なるほどね・・・。

苦しみの先にある幸せ

ここで思い出したんですけど、
知人に、トライアスロン競技をやっている人がいるんです。トライアスロンといえば、水泳、自転車、ランニングの3種目を連続して行う過酷なスポーツ。その消耗度は、相当なものらしいです。


スポーツが苦手な私からすれば、なんでわざわざ、こんな無茶を好んでするのかと思ってしまうのですが、一度経験するとはまってしまうんだそう。


トライアスロン愛好家の知人が言うには、
競技に出る直前は、全然楽しみなんかじゃない。出るのがすごく嫌になるんだそうです。だって、とんでもなくしんどい目を見ることがわかっているから。
そして競技中はもちろん苦しい。なんでこんなことを始めてしまったのかと後悔する。

 

だけど、ゴールの感動が最高で、「本当に人生最高の歓びを味わえるんだ、だからやめられない」
熱くトライアスロン愛を語る知人の顔は、生き生きと輝いているのです

 

これも幸せの一つの形ですよね。
途中がどんなに苦しくても、最高の瞬間が待っていることを知っているから頑張れる。

 

「しあわせな気持ち」が味わえるのは最後だけだけど、苦しみぬいている最中も、それは「しあわせな状態」なのでしょう。

「しあわせな状態」を求めて

できれば、「しあわせな状態」の中で「しあわせな気持ち」を味わいたいけれども、なかなかその両立は難しいようです。

 

ならば、目指すべきは「状態」の方ではないかなと、私は思います。

 

だって、「気持ち」というのは不安定で、一瞬で過ぎゆくもの。

極端な例を言えば、アルコール依存症・薬物依存症・ギャンブル依存症など、病的な依存症は全て、状況を変えずに「しあわせな気持ち」だけを味わおうとしているものじゃないでしょうか。

そして、たとえばアルコール依存症から回復するためにお酒を断つことや、自分の現実を見つめ直すことは、きっと苦しく、つらい道のりでしょう。でも、この苦しさを経ずして「しあわせな状態」へ行き着くことはできないのです。

 

休み休み、「くるしい幸せ」を生きる

しあわせのために、シンドイ道を歩む。

ヨレヨレでも、冴えなくても、これが私のしあわせ。

 

シンドイ道を歩んでいる自分に、「私は、しあわせなんだ」ということを言い聞かせながら、人生を進んで生きましょう。

 

ただ、行き倒れないためには、ときどき自分へのご褒美で「しあわせな気持ち」を挿入することも大事ですよね。
さて、今日は、カフェで少しゆっくりする時間を入れようかな・・・。

 

 

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