
自分を知るというのは、なかなか難しいものですよね。「自分のことは自分が一番よくわかってる!」なんて思っていても、冷静に考えて見ると、さあ、どうでしょう。
身近にも、「自分のことを全然わかってないな」という感じの人がいませんか?
そして、あなたは、自分のことを本当に知っていますか?
今日は、「自分を知る」ことをアートが助けてくれる というお話です。
気分の今の気分に気づけない人

例えば、私の身近な人、仮にKさんとしましょう。彼は、基本的に機嫌のいい人で、初対面の相手でも気さくに話しかけたり冗談を飛ばしたりする人物です。
しかし、何かのはずみで急に不機嫌になることがあります。そういうときはむっつりと黙り込んで表情も険しく、周囲の者には「あ、今、ダメな時だな」とすぐにわかります。まあ、それで暴力をふるうとかの実害はないのですけど、不機嫌オーラを発散している人物と一緒にいると、周りも気が滅入りますよね。
でも、「機嫌悪いね、何かあったの」などと尋ねても、Kさんは「機嫌悪くなんかないよ」と答えます。そして、それは「答えたくない」のではなくて、機嫌が悪いという自覚がないらしいのです。
自分の気分に気づくの難しい

でも、たぶん誰でも、本当には自分を知らないのです。
Kさんが自分の不機嫌を自覚できないように、あなたも、私も、自分の気持ちに気づくことは、おそらくできていないと思います。
だって、自分の気持ちより他のものを優先させるように、みんな幼い頃から教えられてきましたからね。
もっと遊びたくても、時間が来たらやめる。興味のない内容でも宿題をしなければ怒られるから、やる。ケンカしてまだ腹が立っているけど、相手が謝罪をいれてきたら「いいよ」と答える。などなど・・・。
これらの例は全部、自分の好みや感情をコントロールすることが必要な場面ですし、社会生活を営むためには大事なことではあります。
ただ、問題は、気分をコントロールをする中で、「感じる心」自体を放棄してしまうことなんです。
気持ちをコントロールする中で失ったもの

人生の中で、私たちは、いわば「感じないで生きるトレーニング」を受けて生きてきたのです。
自分の好きなものを選べず、大人の指示に従ってきた生活の中で、自分は何が好きなのか、何を喜びとするのか、何が嫌いなのか、何がしたいのか・・・それがわからなくなってしまうことが問題なのです。
実際にどう行動するかは、「感じる」の次に来る選択のはず。
まず、「自分はどう感じるのか」に気づき、味わうこと。それを抜きにして、本当に充実した人生はありえません。
「感じる心」を取り戻すアート

「自分の心と出会うこと」。そのためにお勧めなのが、アートです。
アートというと、一部の愛好家のためのもののように思われている節がありますが、ぜひそんな思い込みを捨てて、アートと身近に接してみてほしいと思います。
アートと接する方法は、大きく分けて二つ。
ひとつは、アートを見ること。
もうひとつは、自分がアート表現をすることです。
自分の気持ちを知るトレーニング:アート鑑賞

アートを「見ること」については、自分の好きなものを探すつもりで、気楽に見ればいいと思います。
ぜひミュージアムへ足を運んでみてください。そして、「好き」とか「嫌い」とかのシンプルな感覚でいいから、まずは自分の心に湧いてくるものに注意を向けてみましょう。
解説文を読んで「フムフム」と知的に「お勉強」するのではありません。知的に鑑賞するのもアートの楽しみ方のひとつではあるけど、今回の主題「自分と出会う」とは違うものです。
そして、展覧会の中でひとつだけでいい、なにか印象に残った作品の前で、しばらく佇んでみてください。
それが「美しい作品」である必要はありません。「どうしようもなく嫌な気持ちになった」という、負の感情を呼び覚ましたものや、「なんじゃこりゃ、意味が分からん」と困惑した作品であってもいいのです。
しばらく眺めていると、
様々な雑念が浮かび上がってきます。それをしばらく味わってみてください。

美術評論家の椹木野衣(さわらぎのい)さんは、こんなふうに言っています。
絵を前にして、漠然と思いをめぐらすのがよいのです。(中略)ただ見て感じるのです。むずかしいことではありません。ただ、見るだけです。(中略)
すると、どうでしょう。いろんな雑念が浮かんでくると思います。「ああ、これは昨日食べた夕食のおかずにかたちが似ているな」とか、「でも、こっちの隅のほうに描かれている山は、むかし子供のころ登った故郷の山に似ているな」とか、(中略)考えが浮かんでは消え、グチャグチャと混ざりながら一斉に動き出すと思います。
実は、「かたまり」としての思考というのは、そういう状態です。(中略)こういう状態には、「始まり」も「終わり」も、「問い」も「答え」もありません。(中略)絵だって、始まりも終わりも、問いも答えもありません。ただ、感じるしかないのです。そして、感じるということは「かたまり」として接することです。雑念でよいのです。なぜなら、絵もまた、整理された考えなどよりは、はるかに雑念に近いからです。
(「感性は感動しない・・・見方、批評の作法」椹木野衣、世界思想社2018年 P,16「絵を前に思いをめぐらす」)
ミュージアムへ行こう!

人生の中で、「感じないで生きるトレーニング」を受けて生きてきた私たち。
ミュージアムで作品をみつめた佇む時間は、「感じる心を取り戻す」トレーニングなのです。ぜひ、自分の心と出会い直す時間を作ってみてくださいね。
今回の記事では、アートを「見る」ことについて、重点的にお伝えしました。
自分で表現することについては、またいずれ詳しくお伝えしますが、以下の記事も、ぜひ合わせてごらんください。
