
あなたは、絵を描くことは好きですか?
あるいは、得意ですか?
ある研究によると、図工・美術が苦手という人は、中学生では約半数。そして、成人になると6割以上の人が「苦手」と感じているらしいです。
今回は、「苦手」と「可能性」について、考えてみます。
「できない」「私には無理」と思い込んでいたことについて、「本当にそうなのかな?」と見直してみましょう。
絵が苦手になる理由

絵が苦手。
なぜなんでしょう。幼少期には、機嫌よく「お絵描き」を楽しんでいたのに。
どうして苦手だと感じ、「やりたくない」と感じるようになってしまうのか・・・。
多くの人が理由として挙げるのは、「上手に描けないから」
そして「下手だと言われたり、笑われたりしたから」というものです。
「上手な絵」である必要はない

「上手・下手」判定の基準は、「写実的な絵がいい絵」「そっくりに見えるのが上手な絵だ」という価値感に基づいています。
そして、その基準から外れた表現を「下手だ」とけなしたり、笑ったりすることが起こるのですが、
本当は、絵の価値というものは、上手かどうかではないんですよね。
多くの人に愛されるアート作品の値打ちは、うまさではなくて、その「世界観」なのです。
うまい、というだけで評価されるアーティストはいません。

例えば、この有名な絵は、オランダの画家フェルメールによるもの。たしかに卓越した写実性は、すごいですよね。
でも、この絵を愛する人は、「うまい絵だから好き」とは絶対に言わないでしょう。この少女の謎めいた表情、時が止まったような静寂、凛とした空気感など、この絵が持つ独特の何か・・・それがこの絵の魅力なのです。
何か、言葉では伝えにくいけど、心に触れてくるものがある・・・・。
もう一つ例を挙げると、
例えば、誰もが知っているピカソの「ゲルニカ」。あの絵、「うまい」ですか?
よく「こんな子供みたいな絵、俺でも描ける」なんて言う人がいますが、その通りです。描けると思います。
実はピカソは、いわゆる「うまい絵」を子どものころから描けた人なんですが、「うまい絵なんか意味がない」と、それを見放したのです。
巧みな技術は、絵を楽しむのに不可欠じゃないのです。
絵をけなすことは、心を傷つける

絵を下手だとジャッジすること。これは心に大きなダメージを与えます。「字が下手だ」とか「球技が下手だ」のとは、意味合いが全然違うのです。
絵への判定は、技術力への評価以上の意味を持ってしまうんです。
なぜなら、絵には、その心の内が現れ出るものだからです。
意図していなくても、絵には必ず、絵を描いたときの気分や感情、発見や考えなどが出ています。
だから、それをけなされるというのは、心を傷つけることになってしまうのです。無防備な、心の柔らかいところを、不意打ちで刺されてしまうのです。
「下手だ」といった方は、これが致命的な傷を負わせることになるなんて気づいていないのですが・・・。
「ジャッジ」を手放す

かつて、間違った基準で下された評価に、傷ついたことのあるあなたへ。
あなたは「へた」なんかじゃない。
「上手・下手」という間違った基準で下されたジャッジに、自分を支配させるのを、終わりにしましょうよ。

先日参加したアートセラピーのワークショップで、講師がこう言っていました。
「あなたの肩には『ジャッジさん』が乗っています。そして囁いてきます。『もっと上手にしないと』『そんな絵じゃ恥ずかしいよ』・・・でも、ジャッジさんには退場してもらいましょう。『あなたのアドバイスはいらないよ。どこかに行って、昼寝でもしてて』と言ってやりなさい」って。
そして、「『ジャッジさん』に支配されていなかったころの、幼い子どもの心を取り戻しましょう」と言われたのです。
「ジャッジさん」が、役に立つのなら、そばに置いておけばいい。でも、「ジャッジさん」は、あなたの値打ちを下げ、あなたの楽しみを奪い、可能性をつぶす存在でしかありません。
このワークショップの記事は、こちらです。
可能性を取り戻そう

今回は、「絵を描くこと」を例に挙げてお話しましたが、「ジャッジさん」があなたを邪魔している場面は、もっと他にもあるかもしれません。
遠い昔の不当な判定に、今も心を縛られてはいませんか?
目を上げて見れば、もっといろんな可能性が、私の前には広がっているかもしれません。

そんな新しい自分と出会うために、まずはアートを試してみませんか?アートを取り入れることは、鉛筆一本でもできる自己肯定法です。
といっても、「ジャッジさん」を駆逐するのは、独りではなかなか難しいもの。よかったら、私と一緒に、「可能性に出会うアート」を試してみませんか?
こちらの記事も、合わせてどうぞ。

