
こんな本の紹介文に心を惹かれました。
だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの世界になってしまう。
だまされるって、普通は避けたいことで、「愚か者が侵す過ち」ってイメージですよね。でも、「だまされる才覚」って何なのでしょう?
今回はいしいしんじさんの小説「プラネタリウムのふたご」をご紹介します。
幸せいっぱいのストーリーではないのに、不思議に心があたたかくなる物語です。なるべく、肝心なところのネタバレにならないようにご紹介しますね。
あらすじ紹介

「プラネタリウムのふたご」 いしいしんじ 講談社 2006年
ふたごの兄弟「テッペル」と「トンぺル」は、山間の村のプラネタリウムで育ちました。二人は、赤ん坊のときプラネタリウムに捨てられていたのです。
というと、親子の情とか葛藤とかの心痛むストーリーが展開するのかと思いますが、そういうことは全然なく、お話は淡々と進みます。テッペルとトンぺルは、育ての父であるプラネタリウムの投影技師のもとで、伸び伸びと育ちます。
この技師が、穏やかで、謙遜で、変わらぬ日常を淡々と生きる、とにかくいい人なんですよねー。

やがて成長すると、ある偶然からテッペルは村を出ることになって、やがて手品師となります。トンぺルは村で郵便配達夫として働く傍ら、プラネタリウムでの投影も手がけるようになりました。
この二人の日々のあれこれが、柔らかく綴られていくのですが、
その中で様々な「だます」こと、「進んでだまされる」ことのエピソードが語られていきます。
常に靄がかかっていて星が見えない村で、夜ごとプラネタリウムで投影される満天の星。
銃で撃たれても死なない、手品師の「不死身術」。
外国に行ったきりの夫から、老女に届く手紙。
熊狩りのための儀式と、30年ぶりに現れた熊。
痛快な「だまし」もあれば、ほろ苦い「だまし」もあり、深い悲しみの底での「だまし」もあり・・・
ハッピーエンド、とは言えないかもしれないけれど、心が澄みわたるような、浄化されたような読後感が味わえる本です。
「気持ちよくだまされる」とは

特に、「だます」の質 について考えさせられたのは、手品の名手である仲間のひとりのエピソード。
彼は、真横や真後ろから見られても見破られない完璧なテクニックの持ち主。なのに、舞台で演じると、客はその芸を喜ぶのではなく困惑し、舌打ちをして不満顔になってしまうのです。
あまりに完璧すぎて、客は「現実に」だまされている感じ、手品ではなく詐欺にあっているような感じを味わい、不快になってしまうのでした。
そんな彼の芸を、仲間の一人は、こう評します。
「客はなんのために金はらって、かび臭い芝居小屋へ手品なんて見にやってくるのか。それはな、ただ、きもちよくだまされたいからだよ。」

「きもちよくだまされる」。
それは、嘘と知りつつ、それを楽しみたい気持ちだったり、現実をひととき離れてみたい気持ちだったりするのでしょう。
本当ではないかもしれないと感じつつ、あるいは本当ではないとはっきり知りつつ、
追求せず、曖昧にしておくことの美しさ、優しさ・・・。
「だまされる才覚」が、心を潤す

苦境にあるときには特に、「なぜ?」「どうして?」と、事実を突き詰めたり、理由を探したりしたくなります。
でも、本当に私を生かしてくれるのは、客観的に明確に証明可能な「真実」ではなくて、「自分が大事にしたい物語」なのかもしれない・・・と、そんなことをしみじみ考えた「プラネタリウムのふたご」でした。
心がカサカサになったときに、お勧めの本です。心にしみます。読んでみてくださいね。