
あなたは今、自由ですか?
「あなたは、今、自由ですか?」そう聞かれたら、どう答えますか?
「はい、自由です!」と、一点の曇りもなく答えられる人は、多くないのではないでしょうか。

だって、毎日の生活は、さまざまな制約に囲まれています。
決められた時刻に職場へ行き、割り当てられた仕事をこなし、へとへとになって帰宅すると、家事の山が待っている。休日の外出も気楽にはできず(コロナの状況、収まってきたかと思ったら、また変異株ですね)・・・。時間がない、やりたいことができないという感覚を味わっている方は、多いのではないでしょうか。
でも、仕事があるならまだましで、働きたくても職に就けない状況に置かれている方もあるでしょう。この場合は、時間はあるかもしれないけど、じゃあこれは自由か?と言われると、いや、そうじゃないだろう・・・と思いますよね。
自由って、何だろう?
「翼をください」の「自由」

私が抱いていた「自由のイメージ」その①は、「何にも縛られず、思いのままに、好きなことができること」。
古い歌ですが「翼をください」という曲、これは私の「自由のイメージ」ときれいに合致します。
学校の音楽の授業でもよく扱われるので、知っている方か多いのではないかと思います。あ、「エヴァンゲリオン」でも使われていましたっけ。
広い空を悠々とはばたく鳥・・・。この歌では、鳥が、自由の鮮やかな象鮮になっていました。大好きな歌ですが、この歌から感じるのは、望んでいるその自由は、決して手に入らない・・・という切ない感傷です。
この「自由」のイメージに基づけば、「自分は自由ではない」という思いと、「自由とは、決して得られないもの」という悲しみとを味わい続けることになります。
だって、何の束縛もない生活なんて、あり得ないじゃないですか・・・。
自ら従う「自由」

ジャン・フランソワ・ミレー「鍬を持つ男」
でも、ここに、もう一つ別の「自由」の概念があります。それは、「自由とは、自ら進んで従うこと」という考え方です。
18世紀の哲学者、カントは、「自由とは自律のことだ」と考えました。
本能や欲望に翻弄される無秩序な状態に対して、自分の意志で善きものを選び取ることができるような状態を、自由と呼んだのです。
誰かに強制されてではなく、自らの意志で、「人としてあるべき姿」を目指して自分を律していく「自律としての自由」。
私は、カントの言う「自由」は、地に足の着いたもののように感じます。イメージで言うと、私の心に浮かんでくるのは、大地に鍬を下ろす農夫の姿です。
農夫の仕事は、日々、地味な肉体労働の連続です。どんなに熱心に働こうとも、その実りは天候次第。でも、私がイメージする農夫は、自然の法則に従って生きることを喜びとしていて、自らの意志でこの生活に従事しているのです。
歌で言うと、武田鉄矢さんの「人として」のイメージかな・・・。
何に従うかは、自分で決める

全ての束縛から離れて生きることができないのであれば、何に従うかは、自分で決める。
言い換えれば、何を大事にするかを、もういちど考え、そこだけは守る。これが、自由なんじゃないかなと、今、私は思います。
家事だって仕事だって何だって、しぶしぶ、強制されて従うんじゃなくて、自分で選ぶ。そういう意識になれば、現象としては変わりなくても、心の在りようが変わります。
家族のために食事の支度をすることを選択して、やっている。そう意識が切り替われば、家事の負担量は同じでも、少し楽しい気持ちでやることができます。
仕事で、自分の願いとは違うポジションに就かされたとしても、でも、この場でもうしばらく頑張ることを選択して、留まる。自分で決めたことなら、仕事に向かう意欲も変わるし、気持ちが落ち着きます。
自分の意志で、進んで、従う。これが自由。
そう考えれば、いつでもわたしは、自由を手に入れることができるんです。もちろん、気持ちが落ち込んだり、苛立ったりすることはあるだろうけど・・・。
改めて、「自由とは?」

みなさんは、自由とは、どんなものだと思いますか?
私は今、大学院で学んでいて、先日の「哲学」の授業で、このトピックについてディスカッションをしました。決まった正解のない討議、とても面白かったです。もっと話したかったけど時間が足りない、そんな時間でした。
よかったら、あなたのお考えを、聞かせてくださいね。自由って、なんでしょう?そして、あなたは今、自由ですか?