病を「神さまからのギフト」と受け止める心

先月末から体調を崩すことが続き、

健康とは実に尊いものだなあということを感じています。

体調不良の話

いや、そんな大病ではないのですが・・・

まずは長々と続いた微熱。
結局、病院に行くのもだるくてしんどく、診断は受けずじまいになってしまいましたが、たぶんコロナだったかなと思います。

やっと回復して外出できた時には、すっかり体力が落ちて、ヨタヨタとしか歩けないし、ちょっと歩くだけで息が上がる始末でした。

 

そして、先週末には、体調不良のせいで延期にしていた手術を受けました。これまた、大きな病気ではなく、 です・・・。施術時間はたったの30分の、日帰り手術でした。

が、わずかとはいえ体の一部を切除するというのは大きなダメージになるようで、その日は何もする気が起きませんでした。

手術後は、これまた歩行に影響がてきめんに出て、ゆーっくり、ゆーっくりしか歩けません。一週間経っても疲れやすくて、いちいち何かの動作をするたびに「ヨイショ」と言ってしまう私です。

 

ふだんは、普通に食事ができるとか、難なく歩けるとかいうことには、気づきもしません。
でも、病気などで弱ったときには、日頃なんでもなくできていたことが、実はとてもすごいことだったんだな ということがわかりますねー。

病を得て気づく幸福:三浦綾子

思い出したのが、作家の三浦綾子さんのエピソードです。

三浦綾子さんは、ご存知のように、「氷点」「塩狩峠」等で知られる作家で、クリスチャンです。

若いころから結核のため長い闘病生活を強いられた彼女は、その後も、脊椎カリエス、パーキンソン病など、障害を通じて数々の病魔に侵されます。

しかし、また新たな病気にかかったときに、こんなことを言ったそうです。

「私、神さまにえこひいきされてるんじゃないかと思うの」

病気になることを「神さまからのえこひいき」つまり「ほかの人よりも良い扱いを受けている」と受け止める心・・。

このエピソードを何で読んだか忘れてしまったので、こまかいところは曖昧な記憶なのですが、

病を得ることで、「食事がのどを通ってうれしい」とか「呼吸がラクにできてうれしい」といった「あたりまえのこと」に幸せを感じることができる。

「私が幸せをたくさん感じることができように、神さまは病気を与えてくださったんだ」・・・と、このようなことを感じておられたようです。

感謝と喜びをもって


私のは、ほんの小さな体調不良にすぎず、三浦綾子さんの受けた苦しみとは比較になりませんが、
確かに今回私も、「あたりまえのことに感謝する」という心持ちを経験することができました。

 

私もクリスチャンです。願わくは、この感謝の心を、健康なときにも持ち続けることができますように。そして、逆境の時にも、喜びを見いだす者になれますように。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。この小さな記事を目にとめてくださったあなたの今日が、平和なものでありますよう、願っています。

 

「あたりまえの幸せ」に関連して、次の記事も、よかったらどうぞ。

おすすめの記事