
写真や動画が、気楽で身近なものになって久しい現代。若い世代はそれが当たり前で、ことあるごとに写真を撮り、特に何もなくても画像で記録し共有しますね。
でも、あえて記録を「残さない」ことの美しさ、「消えていくからこそ」の美しさ というものもあるのではないかなと思うんです。
今日は、そんな「思い出の輝き」についてのお話です。
「裏山の小人たち」と子どもたち

以前出会った、子どもたちとの話をさせてください。
図工教師として、山際にある小学校に勤めていた時のことです。山の裾野の一部が学校の敷地内にあって、そこは「裏山」と呼ばれていました。学校内とはいえ、子どもだけで入り込めば迷子とか大怪我の可能性もある場所だったので、そこはフェンスで囲われ、施錠されていました。
私は、その裏山で、いくつかの授業を実施していたのですが、中でもお気に入りは「裏山の小人たち」という題材でした。
スウェーデンの著名な絵本作家、エルサ・べスコフの「もりのこびとたち」から発想した授業です。
この絵本は、森で暮らす小人の一家が、動物と遊んだり、キノコ採りをしたりする生活の様子が、暖かくも淡々と語られています。

「もりのこびとたち」エルサ・ベスコフ作 大塚勇三 訳 福音館書店
この絵本を、裏山で子どもたちに読み聞かせをしたあと、
「ここにも、もしかしたら小人たちが住んでいるかもしれないね。小人たちが楽しくすごせるような場所をつくってあげよう」と提案します。
造形活動の素材として提供するのは土粘土のみ。あとは裏山の木や枝、葉や石などが材料です。

小人の存在を完全に信じ切っていたかどうかはわかりませんが、とにかく子どもたちはこのファンタジーをとても楽しんでくれました。
粘土と枝や葉を組み合わせて、家だとか、テーブルと椅子だとか、滑り台だとか、さまざまなものをつくっていました。木の幹に添わせて突起を上へ上へと並べ「小人さんたちが木に登れるようにしたよ」と言っている子もいました。
小人たちのために様々な工夫をこらす子どもたちの姿がかわいくて、その様子を見ているのはたまらなくしあわせな時間でした。
終業時間が来たら、「小人たち、楽しんでくれるといいね」と言って、つくったものは裏山に置いたままにして校舎に帰ります。
記憶の中で輝く「小人たち」の物語

翌週の図工の時間には、小人たちの様子を想像して絵を描く活動に移っていきます。
生き生きと詳細に表現する子どもが多く、心の中に裏山の自然と自分の作品が小人の物語とともに残っていることを感じました。
子どもたちは、丹精込めてつくった自分の作品を二度と見ることはありません。作品の材料は天然土の粘土なので、やがて自然の中に埋没していくことになります。実は子どもの活動の様子や作品をたくさん写真に撮って記録しているのですが、その写真を子どもに見せることもしません。
だって、記憶の中にしかないからこそ、その時の思いが輝くんだと思うからです。

実は一度、子どもが「どうしても持って帰りたい」と言うので、それを許可したことがあったんです。
あれは痛恨の失敗でした。粘土板の上に乗せて裏山から持ち出したそれは、たちまちのうちにいのちを失いました。裏山ではあんなに生き生きとしていたのに、一気に土や葉のかけらで汚れた粘土細工に成り下がってしまったんです。
物は同じなのに、場の持つ力——光、におい、音、そして弾んでいた心——によってこんなにも変わるものか と思い知った出来事でした・・・。
美化される記憶

記憶の中には、場の力が働き続けます。現実の作品は朽ちていくけれど、記憶の中のそれは壊れることなく、さらに美しくなるのです。
美化され理想化されるわけですね。
記憶の美化なんていうと、現実を直視していない、歪曲している・・・とネガティブに聞こえるかもしれません。でも、美化されるのは、そこに「楽しかった、綺麗だった」などのポジティブな感情があるからです。
ポジティブなイメージが記憶を美しく彩ってくれるのは、素敵なことではないでしょうか。
輝く「想い」こそを残したい

今は、誰もがスマホの中に大量の写真を保存しているのが普通のことになりました。
写真をただ撮るだけでなく、さらに見栄え良くカッコよく、フィルター加工で変えるというのも、当たり前になっています。たしかに、楽しいです。写真を見れば、薄れていた記憶がよみがえるってことも嬉しいし、便利でもある。
でも、本当にキラキラ輝く想いっていうのは、写真には残せない。
記録や、実物が残っていないからこそ、記憶の中、心の中で輝きを増すっていうこともあるんじゃないでしょうか。

「裏山の小人たち」のあの時間を、子どもたちは憶えているのでしょうか。それはわからない。人は、人生のすべての出来事を記憶しておくことなどできないですからね。
だけど、思い出の姿が記憶の中から消えていったとしても、輝きは心の中の宝箱に残されているはずだと、私は信じています。
キラキラ輝く宝物のような時間を、私自身も貯えていきたいです。
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