アートに現れた「違和感」は、私の「言えなかった声」

 

どうして、こんな作品になったのか、わからない。
制作者は自分なのに、アート表現には、意識して表したのではない何かが現れ出てくることがあります

そして、本人の意識とは違うルートで出てきたものに目を留めることが、「自己との対話」を導くものとなり、自分を受け容れることにつながることがあるのです。

今回の記事では、「作者自身の意図と異なるアート表現」と、「自己との対話」について考えます。そして、「対話的自己」という概念についても見ていきます。

意図せず、勝手に生まれるアート

「こう表現したい」という意図や計画とは違うものが、自分の作品の中に現れ出てくる。あなたには、そんな経験があるでしょうか。

絵の「上手、下手」の話ではありません。
絵を描き慣れていない人が「犬を描こうとしたんだけど、うまくできなかった」と残念そうにしているような、出来栄えの優劣の問題ではないんです。

絵の話じゃないけど、
物語を書く作家さんの中には、「物語の登場人物たちが、勝手に動き出し、勝手に話し出すんだ」というようなことを言う方がおられますよね。

絵や彫刻などのアーティストにも、「これは自分の創作物じゃないんだ」という主張をする人がいます。

アートは嘘がつけない

でも、ある表現が「勝手に生まれ出る」現象は、プロの芸術家ではない、いわゆる「素人」でも、誰にでも起こることなんです。

心理学者のやまだようこさんは、人がさまざまな場面で思い描く「心の中の世界」を研究されているのですが、その際に「イメージ画」という方法を使っています。

つまり、研究協力者に、テーマに応じて絵を描いてもらうんです。

なぜ絵を使うのか、ということに関して、やまださんは、

イメージ画は
・知的な説明よりもより本音が現れやすい。

・意図的に自己防衛したり、ステレオタイプの表現からまぬがれやすい。

・言語のように社会的望ましさや価値観と直接結びついていることが少ないので、虚偽の表現をすることは少なくなる

と言っています。

「本音が出る」というと、「本音=意図的に隠していること」というニュアンスを感じるのですけど、

実際には、「自分の中の、自分でも気づいていないこと」が出る、と言った方が、この現象には合う言い方かなと思います。

 

かくいう私も、自分で描いた絵に対して「どうしてこうなる!?」と驚き、葛藤した経験があります。
この「なんで?」の経験が、アートの不思議さや癒しの力への関心に結びついて、今の私を形作ったと言ってもいい。
この経験については、他の記事に書いていますので、よかったらお読みください。

心の中の「異なる私」

さて、ここですこし、アートから話を移して、「自分の中の、自分の知らない部分」という話について、考えていきます。

オランダの心理学者、ハーマンスは、それぞれの心の中の世界には、さまざまな「異なる私」がいて、それぞれが声を持っているんだ と言っています。

これは、いわゆる「多重人格」とは違います。

知らないうちに別人格になっている、という話ではなくて、誰にでもある、心の中の葛藤場面を考えてください。

たとえば、「バリバリ会社で働いて出世したい私」と「仕事を辞めて田舎でのんびり暮らしたい私」という、対照的な「私」が、自己内世界には同居していたりします。

それぞれの「私」は、正反対のライフプランを思い描いているわけですから、当然、葛藤が生じますよね。

そこで、お互いに声を交わし合って、自己と自己の対話をおこなうことで、その葛藤状況を解決していこうとすることになります。

そして、たとえば、「退職後に悠々と田舎暮らしをするために、今は稼ぐんだ!」ということになるかもしれないし、
「田舎でテレワークができるような会社に転職しよう」ということになるかもしれません。

ハーマンスの「対話的自己論」については、こちらにも書いていますので、よかったら合わせてどうぞ。

心の中の「私」の「力関係」

どういう結論になるかはわかりませんが、
自己内世界の「私」と「私」が、共に声を交わし合える対等な関係であれば、事態は建設的な方向へ向かう可能性が高いでしょう。

でも、実際は、心の中のすべての「私」が対等であるということは、なかなかないんですよね。

声が大きくて押しの強い「私」と、言いたいことが言えず小さくなっている「私」がいるんです。

そして、「声が大きいやつ」の意見が「全体の総意」として通ってしまう・・・というのは、世の中の構図と同じですね。

アートの「違和感」から「私」の声を聴く

さて、ここで、始めにお伝えしてきた、アートの話に戻ります。

自分で制作した作品の、気に入らない出来になったと思っていた部分は、もしかしたら、「絵が下手だから」ではなくて、

それは、これまで声を聞いてもらえていなかった「私」が、おずおずとその姿を現した ということなのかもしれません。

だから、もしも、自分で制作した作品の中に「あれっ?なんで?」と、自分で違和感を感じるような部分があるなら、ぜひそこにこそ目を留めてみましょう。

それを「私」なんだと思ってみつめ、「この『私』は、何を言いたがっているんだろうか?」と考えてみることで、心の中の「対等な対話的関係」を作っていくことができるかもしれません

「対話的な自己」のためのアート

今回の記事では、「アート表現の中の違和感を大切にすることで、心の中の対話的関係を作っていくことができるんじゃないかな」という内容をお伝えしました。

このように、アートは、健康的に自己受容していくために使うことができるものです。

だから、「下手だから…苦手だから…」と、アート表現活動から遠ざかってしまう人が多いことを、とても残念に思っています。

ぜひ、「上手か下手か」なんて評価することを止めて、「自分との対話」として、気軽にアートをしてみてほしいです。

アートセラピーについて

「自分の心と出会うために」という目的に特化したアートの手法にはいろいろあって、例えば、よく知られているものに「風景構成法」があります。

また、「アートを通して自己を見る」というのは、もちろん自分ひとりでもできるのですが、誰かと一緒に作品を眺め、味わうことで、よりいろいろな気づきが得られる場合があります。

「アート・セラピスト」は、その「自己との対話」を促す専門家です。関心を持たれた方は、セラピストと共に、アートしてみるのもいいと思います。

最後はちょっと宣伝臭くなりますが、私は認定アートワーク・セラピストおよび公認心理師の資格を持っていますので、よかったら声をかけてくださいね。

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