
あなたは、自分に幻滅したことがありますか?
「もっとできるはずだと思っていたのに、うまくいかない・・・私って、この程度の人間だったのか」と、がっかりしたり、
「どうしてこんなことをしてしまったんだろう・・・自分で自分が信じられない」と、自己不信に陥ったり、
そんな経験はないでしょうか?
ありますよね!
「こんな自分だと知りたくはなかった」ってこと、ありますよね。いやあ、なかなか、「自分を知る」っていうのは難しいし、しんどいものですよね。
今回の記事では、「たいしたことない私」を許容する気持ちになってもらえると思いますので、読んでみてくださいね。
不安でビビりまくる私

久々の投稿になります。
実はしばらく、修士論文にかかりきりになってました。
私は大学卒業時は論文ではなくて「卒業制作」だったもので、論文って初めてだったんですよね。すみません、論文ってものをなめてました!こんなに大変だとは思いませんでした。「これでは駄目」と何回も差し戻される経験を、人生で一番味わった気がします・・・。
でも、とにかく締め切りに間に合って、論文を提出できましたので、久々に記事を書いております。
今回、論文に苦しむ日々の中で、自分について気付いたことが色々ありました。
そのうちのひとつが、「けっこう私って、小心者だな」ということ。
論文が、さっぱり形を成さない日々。どうしよう、困ったと焦るうちに締め切り日が迫り・・・・「どうしよう、できないかも」と不安がせり上がってきて、電車乗ってるときとか、比喩じゃなく本当に、足がガクガクしたり手汗かいたりしてました。
「心配だからって、こんなふうになっちゃうの、私!?」って驚きました。
人からの評価をかなり気にする私

ふたつめの気づきは、「私が最も恐れていることは、”期待外れだった”と言われることなんだな」ということでした。
不安で不安でガクガクしちゃってるとき、頭に鳴り響く声は「名田さんだったらできると思ったんだけどなあ」という、指導教官からの失望コメントだったんです。
言われてませんよ、実際は。
指導してくださった先生、そんな恐ろしい人じゃないですし。でもなんか、勝手に、イメージの中で先生の声が聞こえてしまってました。
あなたは、ないですか?誰かに実際に言われたわけじゃないのに、頭の中で、批判したり非難したりする声を聞いてしまうことって。
それはともかく、
私の怖さの中身は、「できないかも」ということそれ自体よりも、「期待を裏切られたと思われること」だったんです。見栄っ張りなんでしょうかね。
私の現実を知る、だけど責めない

まあ、とにかく「私って、人からの評価をそうとう気にする人間なんだな」という、自己への気づきがあった論文執筆でした。
人の期待に沿うために生きるんじゃなく、自分の思いを大切にして生きたいと思うのですが、なかなか、そんな私になるのは難しいものですね。
ただ、好ましくない「私」であることを知ったときに、「そんな自分なんだと気づきました」というところにとどめ、「そんな私は駄目だ」とは思うまい、と考えるようにしています。
ただ、「人からの高評価を渇望して、縛られてしまう私」っていうのが、自分の中にいるんだな。という、それだけのことなんです。
心の中にでみつけたものに「優しくする」

「自分を責めない」ということで思い浮かぶのが、心理臨床の手法である「フォーカシング」です。
フォーカシングでは、自分の中にある「不快な感じ」や「気がかり」に目を向けていくということをするのですが、そのときに大切なこととして、
「みつけたものが何であれ、それに優しくする」という態度であることが推奨されています。
フォーカシングのトレーニング用の本「フォーカシング ワークブック」に掲載されていた「フォーカシング的な態度」を実感するためのトレーニング、「森の小動物」というワークが興味深いので、紹介しますね。

さあ、その生き物が怖がらないように、どう振る舞えばいいでしょう?どんな言葉をかけますか?
やがてその生き物の様子がもう少しはっきりわかってくると、どうやらその生き物は怪我をしているようです。あなたはどんなことを感じますか?
・・・というようなイメージワークです。
こんな状況の遭遇したら、あなたはどうしますか?
きっと、怖がらせないようにそっと、穏やかに近づきますよね。
怪我の手当てをしてあげたいけど、いきなり手を出したら怯えさせてしまいそう。まずはそっと近くに行き、敵ではないとわかってもらえるように姿を見せ、大丈夫だよ、というふうに笑顔を向けたりするんじゃないでしょうか。
これが、ひっくるめて言うと「見つけたものが何であれ、優しく接する」ということだと思います。
絶対に、「どんくさいから怪我なんかするんだよ!」「もっと〇〇すれば怪我しないで済んだのに!」などと罵声を浴びせたり責め立てたりはしないでしょう。
つまりですね、自分の中にいる「好ましくない私」を、こういうふうに扱ってあげよう、ということなんです。
だって、この「私」は、もうすでに傷ついてるんだから。
気づくこと、許容すること

完璧な人間なんていません。
誰だって、欠けているところ、未熟なところ、残念なところがある。でも、それを責めても何にもなりません。
そして、自分の中の「残念な私」を、無視するというのも、違います。
「そんな私であるはずがない」と否定するのもまた、別の形で自分を傷つけることになります。「ここにいるのに、いないかのように扱われる」という辛さを現実の生活で味わったことがある方は少なくないと思いますが、それと同じことです。
目を向けて、「こんな私なんだね」と知る。だけど責めない。
そんな自分を好きにはなれないかもしれないけど、でも、「まあ、いいよ」くらいは、言えるんじゃないでしょうか。存在を認めてあげるって感じです。
「残念な私」のままで生きていく

今回は、自分の現実を知ることと、自分を責め立てることの違いについて書きましたが、いかがでしたか。
「欠けと弱さのある私」のままで、穏やかに日々を過ごしていきましょう。
たぶん、そんな自分を知っている人の方が、人にも優しくなれるんじゃないかなあとも思います。「残念な私を責めない」という心が、きっと世界を平和にする!!はずです!
記事の中で紹介した本をもう一度上げておきますね。

「楽しく、やさしい、カウンセリングトレーニング フォーカシングワークブック」
近田輝行・日笠摩子(編著) 株式会社 日本・精神技術研究所
今回の記事では「フォーカシング」をご紹介しましたが、フォーカシングの記事は他にも書いていますので、よかったら合わせてお読みください。

