アートは「わかる」必要はない。ただ心に触れるだけ

先日、職場の同僚に、こんなことを言われました。

「私、美術館に行っても、絵の見方がわからないんですよ」。

彼女は、以前フランスへ旅行した際、有名な観光地だから行こう、ということでルーブル美術館を訪れたのだそうです。でも、何がいいんだかわからなくて、「これが有名なあの絵だね」とその所在を目視確認して回っただけだった、とのこと。

それは「スタンプラリーと同じやね」と、思わず笑ってしまったんですけど、

けっこう、同じように感じている方は、多いのではないでしょうか。

そこで、今回の記事では、「絵(美術作品)の見方」についてお伝えします。この記事を読めば、美術館とかアート作品が身近なものになり、生活に新しい楽しみを加えることができると思います。

アートは、わからなくていい

そもそも、絵は、わからなくてはいけないものなのでしょうか。

(以下、絵に限らず様々な表現様式のものを含めて話したいので、ざっくりと「アート」と呼ぶことにして話を進めたいと思います)

私は、美術館に行ってアート作品に触れることが好きです。ですが、その作品が何を意味しているのか「わかりたい」と思ったことは、ほぼありません。

私は、アート作品を鑑賞するときは、ササーッと見て回っています。そして、立ち止まって「もっと見たい」と感じた作品だけ、じっくり眺めます。

作品タイトルや作者名は見ますが、その近くに掲示されている「作品や作者の説明」の文章は、読んだり読まなかったり。説明文を読むのは、その作品や制作者に興味を持った場合だけです。

アートが心に触れてくる

アートを見るとき、大切なのは「何かが心に触れてくる」という体験だと思います。

それは、「わあ!」と目を見張るような驚きかもしれないし、しみじみと心にしみてくるような感覚かもしれない。

なぜか悲しいような気持ちになる場合もあるだろうし、もしかしたら、「これは嫌!」と拒絶したくなる体験かもしれない。

自分にとってどうでもいいものは、素通りでいいんです。でも、自分の心に「何かが触れてくる」感覚が起こったときには、それは自分にとって大切な何かを伝えています。

心に響く歌のように、アートと出会う

たぶん、どなたも、「好きな歌」があると思うんです。

たぶん、好きな楽曲との出会いは、「この歌は、これこれこういう意味なのです」などという説明からではない場合がほとんどではないでしょうか。

まず、耳に入ってきて「いいな」と思う。これが始まりです。

懐かしさで胸がいっぱいになったり、「よし頑張ろう!」って思ったり、時には涙があふれてきたり・・・(ちなみに私は、アンジェラ・アキさんの「手紙」は、涙なしには聴けないです)

アートが「心に触れてくる」というのは、それと同じ。

「わかりたい」とか「知りたい」という思いがやってくるのは、「心に触れてくる」感覚のあとだと思います。

普通の感覚でアートと出会う

例えば、空の美しさにハッとして立ち止まった経験が、どなたにもあるのではないでしょうか。燃えるような夕焼けだったり、青空に一筋の飛行機雲が引かれていく様だったり。

そのときの「ハッとする」感じは、理屈じゃないですよね。それは、瞬間的に訪れる感覚です。

それから、お店に行って、好みの衣服を選ぶときも、働いているのは「感覚」です。「あ、これいいな」と目が留まるのは、理屈じゃない。「目が惹きつけられる」って感じ、ありますよね。
最終的には、「残念、試着してみたら似合わなかった」とか「値段が高すぎる」とかの理由で「買わない」っていう判断に至るとしても、最初の「あ、これいいな」は、その服の持っている何かの要素が、自分の心に声をかけてきているんです。

アートとの出会いも、それでいいと思うんです。

「気になるアート」との共鳴

目に留まる。目が惹きつけられる。立ち止まって、近寄って見てみたくなる。

それは、あなたの中の何かと、そのアートが共鳴している状態です。

逆もまたしかりで、瞬間的に「嫌だな」「好きじゃないな」と感じるアートもまた、あなたの中の何かに触れる要素を持っているんですよね。

必ずしも、いわゆる「綺麗」「美しい」「精巧」な作品に魅力を感じるわけじゃないし、ものすごく醜悪に見えるのに「どうにも気になる、目が離せなくなる」という作品もあります。

まずは、理屈を置いておいて、「とにかく見る」「心が反応したら、立ち止まって見る」ということをしてみてはいかがでしょうか。

共鳴したアートを眺めて考えてみる

そして、その作品のどこに自分が反応したのかを考えてみるのは、面白い経験になると思います。

「私って、こういうものが好きなんだな」とか「こういうのは苦手なんだな」と、自分についての気づきが蓄積されていく中で、「私って・・・・」と思いめぐらしてみることは、自分自身への認識を深めてくれるはずです。

例えば、自分の人間関係とか、思考や行動の傾向と、好むアート作品との間に、共通するものがあったりしませんか?

私は、形が明瞭でない作品にとても魅力を感じる傾向があります。先日見に行った展覧会「テート美術館展」で、特に心惹かれた作品のひとつが、これ。

イギリスのアーティスト、ターナーの作品です。(最近は写真撮影可の展覧会が増えて、うれしいです)

題名は「湖に沈む夕日」ですが、私がこの絵に惹きつけられたのは、題名を見る前。だから、湖や夕日という内容は、私にとってはどうでもよくて。

私が好きなポイントは、この絵の形状がぼんやりしていること。そして輝いていることでした。

下の画像は、先の作品の一部分です。なんだかわからないけど、画肌が光を放ってるみたいで、うっとりします。

私は、わりと、成果とか、目に見える形で結果を残すということにやりがいを感じる人間でして、でも、「本当は、白黒つけない方がいいで、あいまいなままにしておく方がいいこともいっぱいあるよね」ということを感じてもいます。それで、この、形なき姿のままで置いておけるということに、すごく憧れがある。

だけど、自分で絵を描くときには、ぼんやりした絵って、描けないんですよね。基本、形を残したい性向がある人間なので。

・・・なんて、ターナーの作品を眺めながら、自分のことを思いめぐらしてみたりします。そして、「はっきりさせずに曖昧なままにしておくことって大事だよね~」とか「でも、はっきりさせたい人間なんだよね~」「まあ、いいか。これでも少しずつ緩めることができてきてるかも~」なんて、心の中でアートを介して対話をしてみたり。

アートがそこにあることで、「自己内対話」が活性化する。そんな時間を持つのが、私は好きです。

まあ、純粋に「この絵、好き!」の感覚だけを楽しんで、「考える」はやらないことも多々ありますけど、それもまた良しです。

まとめ

いかがでしょうか。今回は、直観でアートと出会い、アートを介して自分と出会う ということをお伝えしました。ぜひ気軽にミュージアムを訪れて、アートに触れてみてください。

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