
同じ言葉を使って話しているのに、どうしても気持ちが伝わらない。
一生懸命説明しても、「わかってもらえなかった」と感じてしまうことがあります。
その瞬間、胸の奥に沈み込む、小さな孤独・・・・。
今日は、そんな「わかりあえなさ」を超えて誰かと繋がっていく、ということについて考えます。
伝えても通じない思い

「結局、人と人は、心の底までは通じ合えないのかもしれない」
——そんなあきらめが、じわりと胸に広がることが、誰しもあるのではないでしょうか。
その感覚はあなただけのものではありません。
私たちは皆、同じ言葉を使っているようでも、言葉の意味を少しずつ違う意味で受けとめ、違う意味を込めて話しているんです。
同じ言葉、異なる言葉

古代、旧約聖書にしるされた物語に「バベルの塔」があります。
かつて、人々はみな同じ言葉を話し、力を合わせて天に届く塔を築こうとしていました。しかし、その驕りを戒めるために神が彼らの言葉を混乱させ、互いに通じなくし、人々は各地へと散らばった——。
最近読んだ小説 『バベル ~オックスフォード翻訳家革命秘史~』 は、この神話を背景に、「翻訳」という行為の本質を描いたファンタジーでした。
かなり難解な本だったのですが、「言葉を伝える、意味を理解する」ということについて、考えさせられました。
心の翻訳としての言葉

この小説の中では、魔法的な力を持った銀の棒が重要なモチーフになっています。
銀の棒は、適切な翻訳語を銀の棒に刻むことによって力を得ます。
例えば、「小包」という言葉。ある言語ではこの語には「軽い」「小さい」というニュアンスが含まれていて、その言葉を銀の棒に刻むと、荷物の重量が軽くなる——という具合です。
「小包」の棒は、役に立つ便利なものと言えるでしょうが、翻訳によって害をなす力を得る棒もあって、物語は怒涛の展開を見せます。
最適解ではあるけれど、完全な一致ではない翻訳・・・・。
現実世界ではこんな奇跡はもちろん起こりませんが、言葉の意味が文化や歴史を背負っていて、完全には翻訳できないことを鮮やかに示しています。
分かり合いたいという願いを持って

全く同じ意味を持つ翻訳語は存在しません。
言葉は文化や歴史、その土地で生きてきた人々の記憶を背負っていて、完全に置き換えることはできないのです。
言葉の意味を完全に同じようには理解できないのは、現実の対話も同じです。
たとえお互いが日本語を話していても、育った環境や価値観で、同じ言葉を違う意味で受け取ることがあります。
例えば、「大丈夫」という一言でも、安心に感じる人もいれば、軽く扱われたように感じる人もいるでしょう。
完全に一致する理解は、きっと存在しません。だけど、それでも、私たちは分かり合いたいと願います。
そして、言葉を交わすという営みを続けていきます。願いが、誤解やすれ違いを越える力になって、やがて絆に変わっていく・・・。
不完全でも伝えること

バベルの塔は崩れ、人々は散らばりました。
そして、世界では今も、異なる言葉や文化、宗教の違いが争いを生み続けています。
けれど、もし私たちが「違いの向こうにあるものを知りたい」と真摯に耳を傾けるなら、言葉は国境も文化も越えて橋となります。
そんなのは夢物語だと思うでしょうか?だけど私は、そんな希望の一歩は、きっと、今、この日常から始まると思うんです。
不完全な言葉でも、そこに相手を思う気持ちがあれば、分断を越えて、必ず届く。
今日、目の前の人と交わすほんの少しの会話や、互いの気持ちに寄り添う行動が、日常の小さな絆を生むと信じたいのです。
平和は、まずは隣にいる人と心を通わせることから始まる。——そんな日常的な希望を、手放さずにいたい。
伝わらなさに悩みながら、もがきながら。
言葉を越えて
今回は、言葉をテーマにしてお伝えしましたが、
当ブログでは、言葉を越えて繋がっていくための方法としてのアートについて発信しています。
アートは視覚的な言語です。アートについての記事も合わせてお読みいただけたら嬉しいです。

