明日が来ると、普通にそう思えるしあわせ

 

買いものに行く途中、いつも歩く道で、花が種になりかけているのを見ました。

先週見たときは、こんなふうに咲いていたのに

今は渇いて、中に黒っぽいものが見えています。(風で揺れてたから、ピントが合ってないですね、残念!)

 

この種がこぼれて、来年また咲くんですね。

 

また来年ね。
そんなふうに心の中で話しかけて、ふと思いました。

 

また来年、同じようにこの道を歩き、同じように花をみることができると、疑いなく信じている自分・・・。

 

「明日が来る」と信じること

 

本当は、何の保証もないわけです。

 

人の命なんて、いつどうなるか、誰もわからない。
死ぬとまではなくても、生活が急変して、この道に立ち寄ることのない暮らしに変わる可能性だってある。

 

だけど、なぜだか私は、変わらぬ明日が来て、変わりなく季節がめぐり、来年もここに自分がいることを、真実であるかのように心に描いている。

 

幸せだなあと思いました。

 

安らぎのない殺伐とした心持ちであれば、明日が来ることを信じることもできなくなります。
トラウマ的な体験をした人の多くは、平穏な毎日が続くということへの信頼を失ってしまいます。
さながら、戦場で、いのちの保証のない瞬間を生きるかのような日々を生きるような・・・。

 

普通に、安心して生きていられることのしあわせ。
種になった花が、教えてくれました。

 

 

あなたは、明日がくることを、普通に信じて生きていますか。

 

もしも、明日や未来を疑うような苦しい日々であるならば、ほんの少し足を止めて、足元の小さな花を眺めてみてください。

どうかあなたの心に、小さないのちからの贈り物が届きますように・・・。

 

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