人生の選択に迷うとき:失敗も必要な道

 

人生って、選択の連続ですよね。

例えば、休日をどう過ごすか。うんと寝坊して布団の中でゴロゴロしていようか、それとも映画を見に出かけようか。友達を誘って出かけるか、それとも今日はひとりで気楽に過ごそうか・・・

そしてもちろん、人生にはもっと重大な決断もありますね。結婚、就職、家を買うなどの選択は、人生を大きく変えるものになります。

 

今日は、そんな日々の「選択」についてのお話です。

 

選んだもの、選ばなかったもの

私たちは、毎日、もっと言えば一瞬一瞬、何かを選択して生きています。

そしてたいていの選択は、何かを選べば、選ばなかった他のものは、捨て去ることになります。

 

捨てるというと大げさに聞こえるかもしれないけど、人間、身体はひとつなんだから、同時に別々の場所にいることはできませんよね。

例えば、「朝寝坊」と「映画鑑賞」ということだけ見れば、両立は可能です。午後遅めの時間に映画館へ向かえばいいんですから。でも、朝寝坊をしつつ、早朝上映の映画を見るのは無理ですね。

 

こんなことがありました。小学生の娘を連れて、映画を見に行ったんです。「ムーミン」を、朝いちばんの上映で見ました。娘は朝が弱いので、その時間に行くことはけっこう大変でした。
そしたら、なんと、同じ上映に、娘と同じ保育園に行っていた親子が来ていたんです。数年ぶりの再会で、「今どうしてるの?」と楽しい会話が弾みました。

 

他の時間でも「ムーミン」は見れたでしょうが、お久しぶりの再会はなかった。この日、この時間を選んだからこその、うれしい出来事だったわけです。

 

 

そんなことを考えだしたらきりがないし、

もちろん、夜の上映を見に行っていればそれはそれで別の出来事が起こていたんでしょうから、どっちがよかったかなんてわかるはずもないのですが。

 

選んだ結果が、よくないものだったら・・・

さきほどの話は、選んだ結果がうれしいものだった例ですが、選択が残念な事態を招くこともありますよね。それは、ある。

 

でも、選択の結果が、うれしいものじゃなかったとしても、それはどうにかできるとポジティブに考えていきたいのです。

 

肝心なのは、そこから次の選択をどうするか、だと思うんです。
ある店のランチがおいしくなかったら、次は、その店にはもう行かないという選択をする。休日をダラダラ過ごして後悔したのだったら、次の休日の予定を今から計画してみるとか。

 

「あーあ、がっかり」の中にとどまり続けるという選択をしない、ということですね。

 

選んだわけじゃないものを、どう受けとめるか

そして、人生には「選べない」ものも、確かに存在します。どんな家族のもとに生まれ育つかは、自分で選んだわけじゃない。基礎的な能力や障害も選べない。希望していない職場に配属されることもある。

 

それはトランプゲームでカードを伏せて配られるようなものです。受け取るしかないです。

でも、配られたカードをどう使うかは、自分次第なんですよね。

 

楽しむためにゲームのルールを変えていくことだって可能なんです。

例えば、ドッチボールは今や公式戦があり公式ルールなんてものが存在するようですけど、普通は、遊んでいる子どもたちによって、いろんなローカル・ルールがありますよね。球を当てられてもコートに復帰できる「いのち」制度とか、ありませんでしたか?

 

家庭や職場や社会のルールだって昔と今では変わってきたし、変えることができます。

さらに、状況ではなく自分の考え方を変える というのもひとつの対処法、選択のひとつでしょう。

 

選択は自分しだい

 

どんな日も、どんなことも、自分が何かを選んだ結果なんだということを自覚して生活していきたいです。

こんなことを書くと、すごいアクティブな人なのかって感じがするかもしれませんが、そういうことではありません。私はクヨクヨしてるし、自分や社会を改革してアクティブに突き進んでいるとは言えないです。

 

活発に勝負しましょうよということでは、全然ない。

 

私は今、飛翔ではなく潜伏することを選んでいる。そういう私、そういう今なのです。

 

 

あなたは、どんな今を選んでいますか?
今日という日を、「あの選択でよかった」」と思えるものにしていきたいですね。

 

 

クヨクヨする自分を肯定していく、こちらの記事もよかったらどうぞ。

 

 

 

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