
効率を重視する生活の中で、失うもの
毎日の気ぜわしい生活の中で、
ふと、「子どもの頃は、こうじゃなかったのにな」なんて、思うことはないですか?
もしかすると、そんなことを考える余裕もない日々かもしれませんね。
よく、大人になると、子どもらしい純真さを忘れてしまう…なんて言いますけど、
確かに、それは、ある。
大人社会は、どうしても効率が重視されます。
効率よく物事を進めないと、まわっていかない。
それは、生活の重要なスキルなんだけど、
無駄を省いて、スピーディーに、スマートに、あれやこれやをこなしているうちに、
犠牲になっているものが、いっぱいあるような気がします。
もちろん、子どもには子どもの悩みやしんどさがあり、
「子ども時代は、すべてバラ色ハッピー」なんてことは、ないんですけどね。
それでも、
子どものときは、もっとシンプルに目の前のことを楽しめていたような気がします。

私はアートセラピストとして、
たくさんの子どもたちと、いっしょにすごしてきました。
その中で、子どもたちから教えられたことが、たくさんあります。
今日は、「子どもの頃はよかった」と、感傷に浸るんじゃなくて、
自分の中の子ども心を呼び戻してみようよ、というお話です。
心の中の宝島
子どもたちと「無人島」をテーマにして活動したことがあります。
A4サイズ程度の板の上に、それぞれが島を作るんです。
「フルーツの木がいろいろあって、食べたいときに食べる」とか
「ハンモックを吊って寝る」とか、自由に過ごす想像を、表現していきます。
けっこう人気の高い造形活動でした。
「島には宝がある」ということが、この題材の約束事です。
子どもたちが用意した「宝」は、例えば、綺麗なビーズだったり、スーパーボールだったり、
あるいは自分で作った粘土製の人形だったりします。
その「宝」を、島のどこかに置くのですが、設置の仕方も人それぞれ。
山の頂上に、島のシンボルとして高々と掲げる子もいるし、
宝箱を作って、中に納める子もいる。
面白いのは、
地面(紙粘土ですが)を掘って、宝を地中深く埋めてしまう子が少なからずいることです。
埋めてしまうのですから、宝の存在は、見えません。
作品の見栄えとしては、一番の見どころが、隠れてしまっていることになります。
大人だったら、こんな表現の仕方は、しないんじゃないでしょうか。
少なくとも、一部分は見せるとか、「ここに宝があるよ」的な仕掛けを置くとか、何かするんじゃないかな。
でも、子どもは
「だって、宝がどこにあるかは、わたしだけの秘密なんだから」と言うのです。
宝は見えないけど、宝島。
きっと、子どもの心の目には、宝がキラキラ輝いて映っているんですよね。
見せるためじゃなく、楽しむこと
「人からどう見られるか」じゃない。
評価されることを気にせず、純粋に楽しむ。
これって、すごいことじゃないですか?
大人になると、評価を気にしながら、人目を気にしながらの生活になりがち。
子どもとの宝島アートの時間は、しがらみから解放される心地よさを思い出させてくれました。

子どものように、
私たちも、ゆったり楽しんで生きる心を取り戻したいと願います。
こんなふうに、
「あっ・・・」と気づいてちょっとスピードをゆるめてみる。
ちょっと振り返ってみる。
特別に何かをするわけじゃなくても、
その小さな気づきが、きっと心を柔らかく、優しくすることにつながっていくんじゃないでしょうか。
子ども時代を、子どもとして生きる
そして、もう一つ願うのは、
子どもたちが、子ども時代を十分に楽しむことができるように、ということです。
子どもたちも、今は何かと忙しく、早く早くと追い立てられることが多いのが現実です。
効率社会に適応できるようにするのは、いずれは必要になってくるんだけど・・・
子どもである今は、たっぷり自由を満喫してほしい。
その時代を保証してあげることは、大切な大人の役目ですよね。

あなたの中の「子どもの心」。
そして、子どもたち自身のスローな時間。
大切にしていきたいですね。