
共感。
「その気持ち、わかるよ」と、他人の気持ちを理解すること。
人と優しい関係を築くためには「共感」が不可欠。・・・だと思われているけれど、実はそうではないのではないか?
むしろ「共感」を得ようとすることが、かえって自分を苦しめている ということがあり、
共感を避けるという在り方も、ありなのではないか?
と、こんなコンセプトで開かれているアート展を見てきました。
今回の記事は、この展覧会を通じて「共感」とか「繋がり」とかについて考えたことを書いています。
美術展「あ、共感とかじゃなくて」

展覧会のタイトルは「あ、共感とかじゃなくて」。
東京都現代美術館で開催されています。
この展覧会の公式HPには、このように書かれています。
見知らぬ誰かのことを想像する展覧会
SNSの「いいね!」や、おしゃべりの中での「わかる~~~」など、日常のコミュニケーションには「共感」があふれています。共感とは、自分以外の誰かの気持ちや経験などを理解する力のことです。相手の立場に立って考える優しさや思いやりは、この力から生まれるとも言われます。でも、簡単に共感されるとイライラしたり、共感を無理強いされると嫌な気持ちになることもあります。そんな時には「あ、共感とかじゃなくて。」とあえて共感を避けるのも、一つの方法ではないでしょうか。
また、このような文章も。
共感しないことは相手を嫌うことではなく、新しい視点を手に入れて、そこから対話をするチャンスなのです。
これを現代アートの作家5人が、それぞれの視点から提示しています。
私は神戸在住ですが、この展覧会がとても気になって、新幹線で日帰り旅行を強行しちゃいました。
行って本当によかったです。作品から受け取った「何か」が、今も私の中で、静かに育ちつつあるのを感じています。
「セルフ・ポートレート」
私が特に心に残ったのは、渡辺篤(わたなべあつし)さんの作品でした。

こちらの作品は、「セルフ・ポートレート ドア」と題されていました。
自画像としてのドア・・・・。
開くことなどできそうもない、コンクリートの扉。それでも、これは、壁ではないのです。扉なんですよね。

ひび割れているのは、ドアを打ち砕いて、外の世界と繋がりたいという思いなのかもしれない。
でも、そのひび割れは、修復された形跡があります。
しかも、その修復は、金を使ってなされているのです。だとすれば、ひび割れも傷も、大切な自分の一部であるということなのでしょうか。
アイムヒア プロジェクト

渡辺篤さんは、ご自身が、かつて「社会に居場所がない」と感じて自室に引きこもった経験があるそうです。
その彼が、他のひとと共同で作品を制作する際には「アイムヒア プロジェクト」という名前を使っているとのこと。
I'm here・・・私はここにいるよ。
こちらの写真は、「同じ月を見た日」というタイトルがついていました。
コロナで、緊急事態宣言が出され、自宅から出ることができなかった時期にスタートしたプロジェクトです。「孤立感を感じている人」を募集して、月の写真を撮って送ってもらうというもので、今でも、ぽつぽつと写真が寄せられているそうです。
ここに居ない人の灯り

そして最後に、こちら。
天井から下がっている丸い電灯が、作品です。といっても電灯自体は、ごく普通の既製品で、これもまた、渡辺篤さんの「アイムヒア プロジェクト」のひとつです。
「ここに居ない人の灯り」と題されていました。
この電灯のスイッチは、どこか別の場所にいる、孤立感の中にいる誰かが操作しているのだそうです。
繋がりたくても、繋がれない。そんな誰かが、今、ライトを灯し、あるいは、消灯させている・・・・
どこの誰なのか、どんな状況なのか、どんな事情があるのか、何もわかりません。共感など、しようがない。
でも、確かに今、あなたが、そこにいて、ちいさな繋がりを紡ごうとしている・・・そのことが、胸に、じわーんと染みてくるような気がしました。
共感ではなく、だけど繋がっている
現代アートは、「美しい」「優れている」「上手い」といった古典的なジャッジを離れて、物事を見る「視点」を提供するもの。なので、美術を見慣れていない人からは「わからない」と敬遠されがちです。
でも、「わからない」からこそ、「共感じゃなくて」自分なりに考えたり感じたりするきっかけになり得るのですよね。
この展覧会では、「わからない」を大切にすることや、細い繋がりの糸、アートの素晴らしい可能性などを感じることができました。
ぜひあなたも、「わからない」と感じる自分と出会いに、脚を運んでみてください。