
心の中の世界には、さまざまな「異なる私」がいる。そのような多元的な自己観を、アートを通じて考える ということをやっています。
アートを使えば、知的に「私ってこんな人」と考えるのとは違う回路で、自己理解を深めることができると思っています。
今回の記事では、「さまざまな私」をテーマにして「素材を置くだけ」のワークをご紹介します。
自己内世界の「さまざまな私」

まずは、「さまざまな私」という概念について。
私は、一人の人間なんだけど、心の中の世界には、さまざまな「私」がいて、場所や状況に応じて出てきます。
例えば、職場でプレゼンをするときには、「ビシッと仕事モードで決める私」としてその場に臨むでしょう。
でも、家に帰って、バラエティ番組を見ながら笑ったりしているときには、「お気楽ダラダラな私」になっている。
このような切り替えは、誰でも日常的にやっていると思います。
「さまざまな私」を持っているというのは、多重人格障害の「人格交代」のような病的なものではなく、普通のこと。
自己は「さまざまな私」の集合体なんだ という考え方に基づいて提唱された自己論のひとつが、「対話的自己論」です。
対話的自己論については、別の記事に書いていますので、よかったら、そちらもご覧ください。
さまざまな「私」を可視化するアート
さて、今、私は「対話的自己論」をベースにして、「さまざまな私」をアートで表現する、ということに取り組んでいます。
これがとてもおもしろくて、「おお、こんな私がいた!」という驚きがあったり、欠点だと思っていたところを見直すことができたりと、いろいろな気づきを得ることができるんです。
アートといっても、ただ、台紙の上に素材を置くだけ。超簡単です。「置くだけ」なので、「作品」などと呼ぶのもどうなんだろう というくらいのものです。
ワークの手順は、2ステップです。
②作品を見ながら、「私」について考えてみる。
これだけです。
この写真が、今回のワークで、できあがった作品です。
直感的にパパ―っとやったので、制作時間はほんの数分。置くワーク自体だったら1分もかかっていないかもしれません。

アートを見ながら「私」について考える
さて次にステップ2,「自分について考えてみる」ですが、このときポイントになるのは次の4点だと思っています。
私ってこうだよね、これが私らしさだよね、と思えるものは、どれか
②違和性を感じる「私」
「自分らしさとは異質なものだ」とか、「なんでここにこれが?」と自分でもわからない、と感じるものは、どれか
③支配性の強い「私」
自分の考えや行動を方向付ける力を持っているのは、どれか
④存在感の薄い「私」
支配性とは対極にあるような、力を発揮させることが少ないものは、どれか
①~④は、同じものが選ばれてもいいです。
例として、私自身が自分のアートから気づいたことを、お話していきますね。
親和性を感じる「私」

親和性を感じるもの、つまり「私ってこうだよね、これって私らしいよね」と感じるものは、3つあります。無色透明のアクリルビーズ、右のL字フック、左上のボビンです。
アクリルビーズは、自分の中の純粋さだと思います。
というか、「純粋でありたいという願いを持っている『私』」といった方がいいかな。
ボビンとフックは、どちらも、「人との関係性を持とうとしている『私』」だと思います。
フックは物を掛けるためのもので、何か他のものと関わって初めて役に立ちます。
ボビンも単独では役に立たなくて、布を縫うためにはミシンの上糸と協力することが必要です。
フックもボビンも何気なく手に取ったのですけど、そのときに、「私って、人と関わり合って、一緒に何かをするのが好きなんだなあ」という気づきが、ポンと降ってきたように感じました。
そして、自分の外の世界との関わりということを考えて、円の中に完全に納めるのではなく、少し外に飛び出させました。
違和性を感じる「私」

一方の違和性、自分の思う「自分らしさ」とはちょっと異質だなと感じるものは、下の赤いボタンですね。
木炭の上にポンと載せてみたんですけど、
赤いボタン自体に違和感があるというよりは、木炭の上にあるっていうその位置が、しっくりこない。
場違いな感じ・・・「静かな厳粛な場でケラケラ笑ってる」みたいな、いやな感じがします。
これは何だろう、と考えてみると、
「場の空気とか人の気持ちなんか関係なく、やりたいことをやりたい」、そんな自分がいるのかなあという気がしてきました。
支配力の強い「私」

次に「支配性」ですけど、
特に支配性が強い『私」は、アクリルビーズですね。
「純粋でありたい」ということが、自分の考えとか行動を方向付ける上で、力を持っているなあと思います。
実際にその「私」の指令どおりに「純粋な行動」がとれるかどうかは、確実ではないですけどね。
違和性を感じる「私」

逆に、存在感が薄く、今まで目を向けていなかった「私」は、最後に置いた「赤いボタン」。
自分の生活を振り返ってみると、「場の空気に合わせる」とか「人の気持ちを考えて自分は差し控える」とかの行動が多くて、羽目を外してパーッとやっちゃうなんてことはしないです。
身近に「人の気持ちなんてお構いなしに、やりたいことをやる人」がいるもので、その分「ああはなるまい」と規制している面があるように思います。
でも、アートには、出てきちゃった。
「好き勝手なことをやりたい」という「私」が、「ダメですよ」と抑え込まれながらも、私の心の中に存在していて、「ここにいるよーーん!!」と主張している。それがこの、場違いなボタン。
きっと、「やっちゃえ!」な自分を上手に開放していくことが、これからの私の大事な課題なんだろうな。そのことに、今回のワークから気づかされました。
意識の「検閲」をすり抜けて現れる「私」

ボタンを置くとき、ほんとに何にも考えてなくて、「出来ごころ」とか「魔が差した」とでもいうような感じで、ヒョイッと来たんです。
その登場の仕方からして、私の意識にはなかった「私」だなあと思います。
だいたい、「何気なくヒョイ」の行為には、心の奥の本音とか、隠していた「大事なこと」が出る、という法則みたいなものがありますね。
精神分析では「言い間違い」「口が滑った」には本音が出ている、と言われるのと似た現象かなと思います。
この「あれれ?」な事態を、立ち止まって「どういうことかな」と見ていくこと。これは、自己理解・自己受容には、とても大事なところだと言えるでしょう。
「私」を見るアートのすすめ

さて、長々と、自己分析の記録にお付き合いいただき、ありがとうございました。
アートを使うと「私の知らない『私』」に気づくことができるよ、という例としてお伝えしたのですが、いかがでしたか。
とても簡単なアート・ワークなので、ぜひやってみてくださいね。
ただ、このワークでの唯一の難しさは、種々雑多な素材を準備するというところじゃないかと思います。
私は、素材類はあれこれ持っているし、お話を聴くのが大好きです。
もしよかったら、私と一緒にこのワークをやって、「私って・・・」という話をしてみませんか。関心がありましたら、「問い合わせ」ページから、ぜひ声をかけてくださいね。
