
遊ぶことは心を自由にしてくれる。
そのことを体感できたアートワークをご紹介します。
先日参加したアートセラピー・ワークショップは、題して「アートセラピーと神聖なガラクタ」。
自分にとって不要で意味がないと思っていたものによって、自分の心がシフトチェンジする、素敵な体験でした。
ワークショップ概要

このワークショップ「アートセラピーと神聖なガラクタ」は、イスラエル在住のアートセラピスト、ジュディス・シアノさんによるオンライン・セッションでした。
今の時代、ほんとにありがたいですね。イスラエルと日本がつながって、講座に参加できるんですもんねー。
ワークショップは、まず、ジュディスさんが関わった、深刻なトラウマによる人格解離の事例紹介から始まりました。
詳細を書くわけにはいかないのですが、アート表現をすることによって本人が自分の中に別の人格があるということに気づき、その人格が統合されていった経緯が語られました。
アートが、自己理解と変容を無理なく促してくれるということがよくわかり、感銘を受けました。
その後、それぞれの用意したガラクタを使ってのワークへと移りました。
ガラクタとは

「神聖なガラクタ」募集の文言には、こうあります。「失われ、拒否され、見出されたものたちを使ったワークショップ」。
ガラクタとは、失われ、拒否されたもの。
要らないな~。邪魔だな~。もう捨てちゃえ。それがJUNK、ガラクタです。
事前に、ガラクタをバケツ一杯分くらい集めて置くように言われて、実はちょっと困りました。最近、断捨離で、ごっそり捨てたところだったのです。「容器包装プラ」みたいなほんとにゴミっていうものじゃなく、JUNKと言われると、意外に難しかった。
それでも、改めて室内を探してみたら、「使わないけど持ってる」「飾ってる風に置いてるけど、ほぼ見てない」というモノたちが、まだ密かに存在していました。使ってない花瓶敷とか、使ってないキーホルダーとか・・・。確かに、これぞ、存在しているのに「失われ、拒否されたモノ」たち。
各自が、用意したガラクタをご披露し、そのときには、「要らないんだけど、手元に残してるってことは、何かの思い入れがもともとはあったんだよねー」なんて話も出ました。
つまり、全く無意味なものは、ガラクタ以前。ゴミとガラクタは違うんですね。
ジャッジをせず、ただ遊ぶ

ジュディスさんが、「用意したガラクタから何かを選び出して、遊んでみてください。」と説明し、デモンストレーションがありました。
蛇のおもちゃの上をバービー人形が踏みつけながら歩き、壊れた電話機を使って話してる・・・ごっこ遊びみたいなものをされてました。
ジュディスさんからのアドバイスは、
「大事なことは、ジャッジを手放して自由になること。
ジャッジはあなたの肩の上に乗っていて『もっと上手にしなくちゃだめよ』とか、『そんなことをしたら恥ずかしい』とか言ってくるけど、『今は休んでて』と、ジャッジに言ってやるのよ」

そして「じゃあ、楽しく遊んでね♪ 時間は15分間よ」ってことで、各自「お遊びタイム」に。
15分も、ひとりで「ごっこ遊び」すんの、ながっ!
と、戸惑いつつ、手持ちのJUNKたちを出して、並べてみたり、置き換えてみたり・・・を、とりあえず始めてみました。
そのうちに、
やってると、意外にだんだん楽しくなってきました。
ウサギ型のカスタネットが気になって、カスタネットウサギにいろいろ噛みつかせたり、ウサギの身体になりそうなものを探したりしました。さすがに声に出してセリフをしゃべるほどは、童心に帰れなかったですけど・・・。
結局、15分では足りず、ワークショップ終了後にも続きをやって、30分以上はさらに遊んだかな。
次の写真が、出来上がったものです。
ガラクタからのアートが伝える物語

私が使った主なJUNKは、
・ウサギカスタネット(娘が幼い頃に買ってあげたけど、成長した今はさすがに使わない)
・レース編みの花瓶敷(多分、手作りのもので、母にもらったんだったかな・・・記憶が曖昧)
・インパクト強めのネックレス(好みではないので、絶対に自分で買ったものではない。どこから来たものか不明)
・貝殻(おせち料理の重箱に入っていた)
・ハート型オーナメント(クリスマスツリー用に買ったもの。ツリーは処分したのになぜか残っていた)
役に立たない存在だと見放されていたウサギが、実はシャーマンで、幸運を掘り起こしてくれる・・・遊びながらそんなストーリーが心に浮かんできました。
片方の手に持たせたのはヒートン金具ですが、「?」の形に見えるのが気に入って使いました。

心に浮かんできた物語は、無意識の世界からの私へのメッセージ。
たぶん、「私の役割はこれだ」と、自分で思い込んでいたり、人からあてがわれたりしているものとは違う何かを、私はやることができるんじゃないかな。そんな可能性を持った自分を、アート遊びの「ウサギ・シャーマン」が、教えてくれたような気がしました。
その可能性って何?って、そんなことはわからないけど。
今の自分には、今すぐ何かを決めるよりも、「?」って、いろいろ疑問を持つことが大事なんじゃないかと感じています。
内側から出てきたものを信頼する

「あなたには、あなたの知らない可能性があります」なんて言葉は、よく聞きます。
でも、「そうよね」とは思うけど、心底確信を持って「そうです、私には可能性があるのだ!」と思えるかといったら、必ずしもそうじゃない。
一般論としてじゃなく、「この私が」という感覚は、人から諭されても得られません。
本当に自分の可能性を信じることができるのは、その可能性の片鱗が自分の内側から見えてきたときだけなんじゃないでしょうか。

たかが遊び。
だけど、遊びを通じて私の中から出てきた物語は、確かに私のものなんです。それは、私の中の世界や可能性を象徴的に見せてくれます。
役に立たない、不要だと思っていたものが生まれ変わる。
「神聖なガラクタ」アートは、モノが生まれ変わるというだけでなく、私の心がシフトチェンジする機会として、確かに働きました。
遊びは、自由な心を開いてくれる

最終的に、私はこれを「作品」として仕上げましたが、
「遊びましょう」という指示だったから、接着剤で固定するような作品にする必要はなかったのだと思います。
この「遊びましょう」という言い方が、大事なポイントのようです。
「作りましょう」と言われると、どうしても身構える。例の「ジャッジ」が出てきて、見栄えよく時間内に出来上がるような方法を指示し始めちゃう。
たぶん、「遊び」として、カスタネットをパクパクさせてみた時間がなければ、私の「ウサギ・シャーマン」も、自分の可能性について考えてみることもなかったんじゃないかな。
「神聖なガラクタ」アートのすすめ
ということで、「神聖なガラクタ」アートのお話でした。
皆さんのところにも、探せば、「失われていたモノたち」が眠っていると思うので、ぜひ遊んでみてください。きっと素敵な「シフトチェンジ」が味わえますよ。