対話的な自己:いろいろな「私」とアートで出会う

自信が持てないとき、ものごとがうまく進まないとき・・・
「ゆるぎない自分」を確立しているように見える誰かのことが、とても眩しく見えて、うらやましいと感じることがあるのではないでしょうか。

でも、実は、どんなに揺るぎなく見える人だって、誰でも心の中の世界には、「いろいろな私」がいる。そんな自己のとらえ方があります。

「対話的自己論」では、時と場合に応じた「違う私」がいて、心の中の世界では、異なる「私」同士が、対話をしていると考えられています。

 

今回の記事は、「対話的自己」を、いろいろな素材でアートにしてみたら・・・という試みについて書いています。

対話的自己とは

「対話的自己」は、オランダの心理学者、ハーマンス&ケンペンが提唱した自己論です。

かつては「自己」はひとつであって、「一つの自己が世の中に適応できるよう成長し形成されていく」と考えられていたようなのですが、

現代では、「自己は多元的なもの」という見方が広く受け入れられるようになってきています。

この辺りは、他の記事に書いていますので、ご覧ください。

アートを通じて自己を知る

さて、私は今、大学院で学んでいまして、「アートを通じて自己を知る」という体験についての研究をしています。

それで、「自己って、何なの?」という先行研究を見ていく中で、

ハーマンスらの「対話的自己論」に出会って、「なーるほどなあー!」と思ったんですよね。

私は以前、絵を描いていて、絵の中に「暗くてウジウジした私」を発見したことがあります。そして、「こんな私がいるんだな」ということを受け容れることで、私は自然に、楽な心持ちの私へと変わっていったんです。

この思い出についての詳細は割愛しますが、もしよかったら、こちらの記事に書いていますので、ご覧ください。

あれは「異なる自己」との対話だったんだなあ、と、「対話的自己論」に出会って、得心したわけです。

そして、「異なる自己」と無理なく出会うことができるようなアートって、どんなものかなあということを考え始めました。

「異なる私」をアートにしたら

で、「いろいろな私」がいる「自己内世界」を試作してみたのが、こちらです。

「こんな自分がいるなあ」と感じられる素材を選んで、土台の上に乗せていきました。
土台には紙粘土を敷いて、粘土に埋め込むような感じで設置しています。

どんなプロセスだったのか、全部書いていると、とんでもない長文になってしまうので、今回は、ふたつの<私>についてだけ、書こうと思います。

ビー玉:ピュアな私

最初に選んだのが、無色透明なビー玉でした。

これはかなり「こんな自分でありたい」という願望が入っていますが、清らかな曇りのない私、というものがある(はず)と想定して選びました。

色や柄のあるビー玉に交換しようかとも思ったのですが、結局、初めに選んだ直感を尊重することにしました。

後で見ると、魔術師とか占い師が使う「水晶玉」みたいだなと感じました。

置く位置は、初めは土台のど真ん中にしていたんです。でも、最後の最後、ふと思いついて少し位置をずらしてみたら、その方がしっくり来ました。

<ピュアな私>を中心に置いたのは、実態にそぐわない「願望」で、実際は、清らかさが私の中心ではないよなーって感じでしょうか。

場所を移動したときに、最初の位置に穴が残ったんですが、これはあえて埋めずに、そのままにしました。「心の傷」だとか「苦闘の跡」みたいなものは、残しておきたいなというようなことを考えてました。

コソコソ怯える私:目玉シール

次に気になる<私>は、「目玉シール」です。人形の顔に貼り付ける、黒目が動くやつです。

これは、「違和感を感じるものを選ぼう」と思って、目に留まったものでした。

置く位置は、右下。「ここしかない」という感じで決定。

他にもいくつか「小物」的な奴らが、ゴチャゴチャ寄せ集まって、コソコソ隅に行きました。単独ではいられない、寄り集まってないとダメって感じ。そして、特に透明なビー玉の近くには絶対行けません、とも感じました。

これ、何だろうなあ?と、出来上がってから眺めてみたんですが、

どうもこれは、人目を気にして卑屈になっているように見えてきました。

そうか、「これは、<人目を気にして卑屈になる私>」なんだな。

コソコソ寄り集まって人目を気にしているなんて、実は私は嫌いなんですけど、どうやらそんな私が、しっかり自分の中にいたようです。見つからないように隅に隠れていたらしい。<コソコソ目玉ちゃん>と命名しておきましょう。

「異なる私」同士の対話

「対話的自己論」では、「異なる私それぞれが声を持ち、対話的関係をつくる」ということを言っています。

そこで、<コソコソ目玉ちゃん>と、<水晶玉さん>が、それぞれ声を持っていて、話をするとしたら?と想像してみました。

そしたら、意外にも、<コソコソ目玉ちゃん>の声の方が、すらすら思い浮かびました。

こわいこわい、
どう思われるかわからないから、
目立たないように、

みんなと集まって隠れていよう・・・

<コソコソ目玉ちゃん>は、おびえています。
目をキョロキョロ動かして辺りを伺っているのだけれど、視線を移すのがせわしないせいで、実際には何も見えていません。

<水晶玉さん>は、なんて言うんだろう?

考えてみたけど、声がイメージできませんでした。たぶん<水晶玉さん>は、意見を言うよりも、ただ「真実を見る目」でいようとしているのかも。

だから代わりに、<別の私>が、<コソコソ目玉ちゃん>に言ってあげる言葉を考えてみました。

怖がらなくていいよ。
立派な人、褒められる人じゃなくていいんだよ。
そこで隠れていてもいいよ。

 

そう言ってあげたら、<コソコソ目玉ちゃん>も少しは落ち着いて、大事なものを見ることができるようになる気がします。

対話的自己のアート

今回は、私の「心の中の世界」にお付き合いいただいて、ありがとうございました。

試しに作ってみた作品でしたが、新しく自分について知ることができたし、自分を労わってあげることができた時間だったように感じています。

今後は、アートセラピーのプログラムを提供している施設等でも、「いろいろな私」のワークをやってみたいと思っています。

この記事を読んで興味を持たれた方は、お試しいただいて、どんな体験だったかを教えてくださったら嬉しいです。

コメントは「お問い合わせ」ページから、ぜひどうぞ。

「自己」に関しては、他にも書いています。よかったらこちらも読んでいただけたら嬉しいです。

 

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