自己嫌悪感からの解放:対話的自己論から考える

あなたは、自己嫌悪感を味わったことがありますか?

ありますよねー。人生で一度も「こんな自分は嫌だ」と思ったことのない人なんて、いないんじゃないでしょうか?

自己嫌悪感にさいなまれて、いつまでもクヨクヨしてしまう・・・そんな辛い気持ちと、どう付き合っていけばいいのか・・・

今回の記事では、自己嫌悪や、自分変容、自己受容などについて、「対話的自己」という概念を使って考えていきます。自分との付き合い方が少し気楽になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

自己嫌悪とは

自己嫌悪感とは、「自分で自分のことを嫌だと感じること」

自分を嫌になる原因は、何か望ましくない事や感情が起こったときに、「それは自分のせいだ」と感じてしまうことです。

特に青年期には、性格や容姿の「好ましくない」側面に意識が向きがちで、自己評価が低くなると言われています。

私自身は、年齢を重ねていくと、だんだん図太くなって、自己嫌悪感に捕らわれることは減りました。だけど、今でも、自己嫌悪感と無縁になったとは言えないですね・・・。

自己嫌悪:私の場合

 


子どもの頃の私は、自分のダメな面に対して、実におおらかでした。

実は私、忘れ物王者で、学校の準備物を忘れて登校するのがほぼ毎日!という子どもでした。

教科書を忘れる、給食当番用のマスクを忘れる、提出物を忘れる、もちろん宿題も忘れる。私の子ども時代は、学校で「体罰はいけないこと」という概念がなかったですから、先生に罰で平手打ちをされたことだって何回もありましたが、でも、忘れ癖は直りませんでした。

なぜかといえば、「自分のダメな面はスルーッと流して、見ない」ということができていたからです。「自己嫌悪感」なんてゼロでしたね。

それが、思春期に入って、「こんな自分のままでは、だめだ!」と、やっと気づいたんですよね。それで、ようやく、忘れ物をしないように気を付けるようになりました。

忘れ物癖が改善されたという点はよかったんですけど、

その頃から、「自己嫌悪感」で鬱々とすることも増えていったように思います。

失敗したことや、誰かの叱責が、いつまでも心から離れず「自分はダメだなあ・・・・」と落ち込んでしまい、そこから浮上できないことが多くなっていきました。

対話的自己論で考える「自己嫌悪」

ここからは、「自己嫌悪」つまり「自分のことが嫌い」という気持ちとの付き合い方を考えていきたいと思います。

きっと役に立つと思われるのが、「対話的自己」という概念です。オランダの心理学者、ハーマンスとケンペンによって提唱されました。

「対話的自己」という概念のベースになっているのは、
そもそも、〈自分〉〈私〉というものが、確たるひとつの存在ではなく、〈こんな私〉〈あんな私〉・・・いろいろな〈私〉の集合体であるという考え方です。

いろいろな私、なんていっても、多重人格のような病的な状態のことではありません。場面や状況によって、〈私〉の在りようが変わる という感じです。

例えば、私の場合、思春期に入って「忘れ物は絶対ダメ」と思う〈私〉が出現したわけですが、
実は今でも、「人間だもの、忘れることだってあるよ♪」という、自分に甘い〈私〉も存在しています。(だから今でも、しばしば「うっかり」をやらかすわけですが)

また、真面目に働いて期日を守ろうとする〈私〉もいれば、期日が迫っていようと健康や家族の都合の方が大事だと考える〈私)もいます。

このように「いろいろな〈私〉から成る自己」という考え方は、「多元的自己論」と言って、現代の心理学の中では、けっこう有力視されているようです。

「対話的自己」の概念では、「多元的自己」から一歩進んで、「自分の中のさまざまな〈私〉」の関係性に注目していきます。

自分の中にはさまざまな〈私〉がいて、それらは矛盾していたり、対立していたり、葛藤が生じていたり・・・ということが起こっているのですが、

そのさまざまな〈私〉が、心の中で「対話」を行って、自己が形成されていくものなんだ というのが、「対話的自己」の概念です。

例えていうなら、自己とは、いろんな個性を持った生徒が集まるクラスみたいなもの、でしょうか。

自己嫌悪感と対話的関係

「対話的自己」の概念に立って「自己嫌悪」という状況を見直してみると、

一般に、自己嫌悪感に捕らわれているときは、自分の全体を見て「自分が嫌だ」と言っているのではないかと思います。

でもね、自分というものは「集合体なんだ」と考えてみると、その「嫌な自分」は、実は、自分の中の一部分にすぎないんですよね。

「好きになれない要素を持った〈私〉」が、自分の中にいる。
さらに、その〈私〉に対して「そんなことではダメだ!!」と、責めたて叱りつける〈私〉も、自分の中にいるのです。

それぞれは、自分の中の一部分にすぎないのですが、

自己嫌悪感にさいなまれているときは、〈責めたてる私〉の声が圧倒的で、言われっぱなしになっている という状況になっているわけです。

現実の人間関係に当てはめて考えてみてください。そりゃあ、反論もできず一方的にやり込められていたら、イヤーな気持ちになりますよね。

つまり、自己嫌悪しているときには、〈私〉と〈私〉の間に、双方向の「対話」が成立していないのです。

〈私〉と〈私〉に間に対話をつくる

だから、意識的に〈私〉と〈私〉の間の対話を行ってみよう、というのが、「対話的自己論」を提唱したハーマンスらの主張でした。

ハーマンスらの著書には、アリスという20代女性の事例が掲載されています。

彼女は、「開放的・社交的な〈私〉」と「閉鎖的な〈私〉」が、自己内に存在していることを語りました。

アリスは、「閉鎖的」な方の〈私〉が好きではありませんでした。彼女は、開放的な〈私〉を重要視し、そんな自分としてふるまっていたのです。

アリスは、この2種類の〈私〉を関連付けて思いめぐらすということを、3週間に渡って行いました。

「関連付ける」つまり、自己内対話の状態ですね。

〈私〉と〈私〉のセリフのやりとりみたいなものがあったのか、なかったのかはわかりませんが、関連付けたということを「対話的関係をつくった」とみていいだろうと思います。

その結果、3週間後、なんとアリスは、「閉鎖的な〈私〉」の方を、むしろ重要視するようになっていたのです

アリスは、自分の中の「閉鎖的」な側面は、自分を慈しみ、穏やかな気持ちを作り出すために必要な存在なんだ と認識するようになりました。

嫌悪していた〈私〉を受容するだけでなく、高く評価するようになるほどの変化。それは、「自己内対話」がもたらしたものでした。

自己嫌悪感からの解放

自分を苦しめる「自己嫌悪感」との付き合い方について、まとめます

まずは、自分の中にはさまざまな〈私〉がいる、と考えること。

そして、「自分が嫌だ」ではなく「自分の中の〈こんな私〉が嫌だ」と、それは自分の中の一部分だと認識すること。

次に、その「好きになれない要素を持つ〈私〉」を一方的に責め立てることを止め、その〈私)と、「叱り役になっている〈私〉」との間に対話的関係を作ること。

心の中の劇みたいに、交互にセリフのやりとりをしてみるのもいいかもしれません。とにかく、双方向の関係を作ることが大事です。

そうすれば、事例のアリスのように形勢逆転、とまではいかなくても、ずいぶん気楽になれるのではないでしょうか。
少なくとも、自分をまるごと否定するような苦しさからは、開放されるはずだと思います。

自己との対話のためのアート

私は、自己との対話については、アートを使って感覚的に行うことがとても有効だと考えています。

今回の記事にそこまで書くと、あんまり長くなりすぎるので、一応ここまでといたしますが、また改めて、取り上げていきたいと思います。

以前に書いた、「対話的自己」「自己内対話」をアートを使ってやってみる試みについての記事、ぜひこちらもお読みください。

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