心の中の「支配的な自分」と「抑止されている自分」

 

私たちの心の中には、いろいろな声がありますよね。

喜んでいる声、クソッ!と怒鳴っている声、ブツブツ文句を言っている声・・・。

そして声と声の間で「だよね!」とか、「そうは言っても・・・」とか、対話が生まれたりもします。

そして、「声」の中には、私たちの思考や行動を方向付ける「支配力」のある声があります。

今回の記事では、「対話的自己論」を通じて、自己内世界について見ていきます。「”自分”って、なんなの?」ということに興味がある方は、ぜひおつきあいください。

さまざまな「異なる自分」


私たちの心の中の世界には、さまざまな「異なる自分」がいます。

たとえば、職場で会議に参加しているときの自分と、気の置けない友人といるときの自分は、違っていますよね。

誰が相手だろうと、どんな状況だろうと変わりなく一貫した自分でいられる人を「表裏がない」とか「芯がある」とか言って、素晴らしいことだとされますが、

いますか?そんな人。いないと思うなあ。

もしそんな人がいたら、社会生活を送っていけないはずです。

家でダラーっとくつろいでいる状態の自分のまま、仕事上の打ち合わせなんかしたら、絶対信用してもらえないでしょう。
逆に、気を張ってテキパキ仕事をこなす自分のままで、家で幼い子どもと遊ぶとしたら、子どもに好かれることは難しいでしょうね。

「さまざまな異なる自分」のバリエーションを持っているからこそ、私たちはそれぞれのコミュニティで円滑に生活していけるのです。

対話的自己論

そして、現実の「外の世界」と同様に、私たちの心の中の世界も、「さまざまな異なる自分」が、それぞれの主張をしながら存在している「コミュニティ」なのです。

オランダの心理学者、ハーマンスとケンペンは、「対話的自己論」として、ここまで述べてきたような「さまざまな異なる自己が存在している、心の中の世界」について提唱しています。

「異なる自分」「複数の自分」なんて言うと、「多重人格障害」のような感じを思い浮かべるかもしれませんが、それは全く別の現象です。
多重人格の場合は、知らないうちに他の人格に入れ替わってしまい、それぞれの「人格」たちはバラバラに孤立しています。自己内世界でのコミュニティが成立していない状態だと考えられます。

「自己とは何か?」については、心の中の見えない世界についての話ですから、いろんな人が、いろんな説を唱えていますが、

「自己は一個の一貫したものではなく、多元的・分権的なものだ」という主張が、次第に有力になりつつある、らしいです。

今回はハーマンスらの「対話的自己論」から、「支配性」についてみていきたいと思います。

心の中の「支配性」

たとえば、実生活の中で、学校とか会社とかの様子を思い浮かべてみてください。「この人が言えば、だいたいその意見が通る」という、「力のある人」がいるのではないでしょうか。その一方、目立たず、物を言わない「影の薄い人」もいますよね。

力のある人は「支配性」の強い人、だと言い換えることができます。「支配」っていう言葉は、悪い王様が民衆を虐げているようなイメージですが、「善王」だとしても、王様が支配者であることには変わりがありません。

学校、会社、国・・・などと同じように、

私たちの心の中の世界には「さまざまな異なる自分」がいます。そして、ある「私」は支配性が強く、ある「私」は無視されたり拒絶されたりしている、ということが起こっているのです。

アリスの場合

ハーマンスらの著書には、アリスという20代女性の事例が紹介されています。

アリスは、自分の人格の中で相反する特徴を持つ側面2つを挙げるように、と促されます。

アリスが挙げたのは「開放的な人物」である自分と、「閉鎖的な人物」である自分 でした。

「開放的な自分」は、社交的で、多くの友人を持っています。これからも多くの人と出会っていきたいと願い、恋人と旅行に行きたいと思っています。

一方、「閉鎖的な自分」は、人間関係上の挫折の経験と結びついており、人との関わりにおいて「自分の領域」を守る必要を感じています。そして、自分は忙しすぎて休息を取ることを願っているのです。

アリスは自分を開放的な人物だと見ており、「周囲にもそう思われている」と言いました。そして、開放的な自分であることは彼女にとって大切な意味があることだ と捉えられていたのです。

つまり、「開放的な自分」は、アリスの中で、支配的な地位を得ていたわけです。

支配性と、意味の変化

それからアリスは、毎日、一日の終わりに「開放的な自分」と「閉鎖的な自分」を統合させるような形で考えるように と言われたのです。この「今日のふりかえり」を、彼女は3週間続けました。

さらにアリスは,1週間ごとに、この二つの「自分」が、思考・感情・行動においてどのくらい支配的であったか、そしてどのくらい有意味であったか、を評定することを求められました。

その結果、「支配性」と「意味性」に関する評定は、大きく変化したのです。

この調査を開始したときには、「開放的な自分」は、支配性においても、意味性においても、「閉鎖的な自分」よりもはるかに高得点でした。
ところが、週が進むにつれて、「開放的な自分」の評定はぐんぐん下降していきます。対して、「閉鎖的な自分」の評定は上昇を続け、三週間後には、なんと両者の立場は完全に逆転していたのです。

アリスの中で「開放的な自分」よりも「閉鎖的な自分」の方が支配的になり、しかも、それがとても意味のあることだと感じられるようになっていたんです。

「閉鎖的」というと、ネガティブな響きに聞こえますけど、

彼女が「閉鎖的」になることで得たのは、たとえば次のようなことでした。

「嫌なことは『いや』と言えるようになった。(以前には、社交的であろうとする思いが強かったため、断ることができなかった)

困ったときにアドバイスや援助を頼めるようになった。(以前には、彼女はいつも「助けを与える側」だった)

つまり、どんどん外に出て行って活動するばかりでなく、抑えたり、休んだり、熟考したりできるような人物へと変わっていった ということなのでしょう。

このようなアリスの変化は、二つの異なる「私」が関係づけられることによって起こりました。以前には、「開放的な自分」がアリスの自己内世界で重要視され、影響力を持っていました。「閉鎖的な自分」の方は、ほとんど無視され、よくないものとして拒否されていたのです。

でも、「1日の終わりに、二つの自分について考えてみる」ということを行った結果、アリスは、「閉鎖的な自分」は、自分にとってとても大事な存在なんだなということに気づき始めたんですね。

「休みたい」とか「助けてほしい」とかいう声が、彼女に届き始め、「閉鎖的な自分」は次第に重要な存在となっていったのでしょう。

誰の心にもある「支配」と「抑止」

誰の心の中にも、支配的で、影響力のある「私」と、抑止的に扱われている「私」がいるのではないでしょうか。

支配力のある「私」は、いわゆる「私らしい」と感じられている部分。それをつぶす必要はないのですが、対極にある「抑止され、無視されている私」に、意識的に目を向けていくことが大切だと思います。

そして、その言い分に耳を傾けること。

私の場合

私の場合は、「積極的で明るい私」が支配的で、「陰気に引っ込んでいる私」を完全に無視していた、ということが思い出されます。これはうんと昔、20代の頃のことです。
このあたりのことは別の記事に書いていますので、よかったらご覧ください。

 

現在の自分について考えてみると、今は「協調的な私」が支配的になっている気がします。
衝突を避け、人と穏やかな関係でいたいという気持ちが強いです。

その一方、「好戦的な私」というのが、抑止されているところかな。
誰かを論破するとか、マウントを取るとか、そういうことはしたくない。争いたくないんです。

でも、考えてみれば「好戦的な私」の言い分にも一理あるなあと思います。

いつでも争いを避けて波風を立てないようにするばかりだったら、それは「長いものに巻かれる」だけの不本意な人生。戦い抗うことが必要な場面もあるはずですよね。

よりよく「自分」とつきあっていくために

いかがでしたか。今日は自分内世界の「支配性」について考えてきました。
皆さんもぜひ、自分の中で、「支配的な私」「抑止されている私」について思いめぐらせてみてください。

心の中の「支配的な私」の声がどのようなものであるかを知り、その陰で無視されてきた「別の私」の声を聞いていくことで、私たちは、より「自分らしさ」を発揮していくことができるのではないでしょうか。

アートを通じて自分を知る

今回は言葉であれこれ考えてきたんですが、
私は自己について「アートを通じて知る」ということに関心を持っています。

アートを通じて考えた「異なる自分」についての記事も、よかったらどうぞ。

 

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