
あなたは、自分の顔写真をレタッチ(修正)するのって、好きですか?
今回の記事は、大幅なレタッチで「違う私」を見せることが、柔軟で多様な生き方を可能にしてくれているかもしれない という話です。
「多層的な自己」「アイデンティティ」などについて、顔写真のレタッチを通じて考えます。
自分の顔写真のレタッチ、しますか?

今朝の神戸新聞に、面白い記事が出ていました。(2022年7月23日(土)神戸新聞朝刊、14面「無正解の時代」)
若い世代では、「自分の顔画像をレタッチする」という人は7割以上に上るのだそうです。(化粧品会社マンダムが15歳から49歳までの女性約450人を対象に調査)
しかも、目鼻などを大きく変えて、全く別人のようにしてしまう”キャラ化”も多いのだそう。
そして、レタッチ写真の自分が「本当か嘘か」ということは問題ではなく、
「他者と対面したときに、目の前の私だけが私ではない、という可能性の楽しさがある。つまり『私』が多層化していく」
との見解が、紹介されていました。(東京芸大大学院准教授、清水知子さんの見解です)
「さまざまな私」と「別人になる」こととの違い

面白いなあと思いました。
レタッチ写真は、一貫した私ではない「多層的な自己観」の現れ なんですね。
ここまでの文面でお察しのように、私は、自分の顔写真のレタッチをやったことがありません。
実は私、リアルの化粧も、眉毛をチョイ足しする程度しかやらないんです。ほぼスッピンです。どうも、「本来の顔」から大きく変えることに対する抵抗感があるのですよね。
そんな私なので、レタッチ・ソフトで顔を修正する、しかも別人のようにする ということは、ハロウィンの仮装とか、ヴェネツィアの仮面フェスティバルのようなものに感じられていました。
つまり「私ではない別の誰か」に今だけ変身する、ということだと、とらえていたんです。
でも、そういうことではないらしい。
レタッチ写真の「私」は、別人のように異なる外見であっても、これはこれで、「私」だ、ということなんです。
さまざまな自分を生きる時代

ひと昔前には、いついかなる場合にも揺るぎない、一貫したアイデンティティを確立することが重要視されていました。
自分の在りようが場面や相手によって変わるのは、「フラフラしていて情けない。成長しきれてない」って感じでしょうか。
でも、そのような自己観が主流だったのは、1970年代までだったようです。
現代は、むしろ、役割や価値観の異なる場に応じて自己を変えることは「柔軟な生き方」だとして、好意的にとらえられるようになっています。
そのような自己観と「レタッチ文化」とは、親和性が高いのですね。
さまざまな私を「試す」「練習する」

この新聞記事では、現代美術家の森村泰昌さんのコメントも紹介されていました。
「今のレタッチされた自撮り写真は、僕には『未来への予行演習』に見える。夢の果てで、価値観や考え方に慣れる練習なのではないか。」
予行練習。なるほど・・・・。
これを「お試し」と言い替えることもできるのではないかと思います。
試してみて、初めて分かることって、ありますよね。
服の試着は誰でもやると思いますが、いいなと思った服でも、着てみると「なんか違うな」ってことはしょっちゅう。
「お試し」を経験することなく、リアルの世界にいきなり打って出るのは、試着しないで服を買うようなもので、結構なハイリスクかもしれません。

憧れの自分、理想の自分を思い描いても、現実の自分を変えるのは難しいし、怖いものです。
でも、「お試し」なら、それができるんですよね。
違和感があればやめればいいだけだし、
人から批判されれば「お遊びでやってみただけだから」とかわすこともできます。
リアルでは絶対やらないようなことを試してみたら意外に良くて、「私にこんな可能性があったんだ」と新しい一面に気づくことだってあるかもしれません。そうなれば、大儲けですよね。
そう考えると、レタッチ文化、侮れないなあ!
自分に合う「お試しツール」

今回の記事では、新聞記事をもとにして、「さまざまな私」を試す意義について考えてみました。
今回は顔写真のレタッチの話だったのですが、
面白いなあと言いつつ、たぶん今後も私自身は、自分の顔写真のレタッチやお化粧はしないと思います。まあ、「試すのが大事」とはいえ、人間、世界中のすべてのことを試す必要はないですからね・・・
私にとっては、最高の「お試し用ツール」は、アートです。
絵を描くとか、素材を触るとかのアート表現活動は、気兼ねなく「私」を試してみるためにお勧めの方法です。
「『私』に気づくアート」に関する記事をいくつか書いていますので、よかったら合わせてどうぞ。
