「善意の、自己中心的な人」の対処法

 

自己中心的で、且つ、まったく悪気のない人。あなたのまわりにいませんか?

他の人の視点で物事を考えることができず、悪気がないだけに「トホホ」となる、残念な人。

いますよね!

今回の記事は、「ピアジェの三つ山課題」の知見を応用して、そんな「自己中心的な善人」とのつきあい方を考えよう、という内容です。

自己中心的な善人の話(1)

ある日のこと、Aさん(女性)が体調を崩して寝ていました。体がだるく、食欲もありません。

そんなAさんのために、夫、Bさんが食事を支度して、寝室へ運んできてくれました。

ところが、食事のメニューは、トンカツ。

病気で食欲を失くしている人に、なぜトンカツ!!!?

そのココロは、つまり、夫、Bさんが、トンカツが好きだからです。そして、その日はトンカツを食べたい気分だったからです。

そして、夫、Bさんは「俺は、妻のために食事の用意をしてあげた♪」と、とてもいい気分になっているのでした。

自己中心的な善人の話(2)

また別のある日のこと。TVで、セクハラに関する話題が流れていました。
男性の下ネタ話や、体形に関する軽口で、女性が不快な思いをしている・・・という内容。

実は、夫、Bさんは、その手の「性的な軽口」が日常茶飯事。「おなかがプヨプヨしてきたね~」とか、そういうことをチョイチョイ言い、どうもそれを「親しい間柄の愛情表現」とすら思っている節がある。

妻、Aさんは、「笑える範疇ではない」と思う時には、その都度、「やめて」「いやだ」と、伝えるのですが、一向に改まりません。嫌がらせをしているつもりは毛頭ないらしく、自分が楽しいから言う、という感じです。

TVでちょうどその話題が出たのはいい機会だと思い、「気を付けないと、会社で誰かに嫌な思いをさせているかもしれないよ」とAさんが言ったところ、

夫、Bさんは「俺は大丈夫。これまで一度も、嫌な顔されたり、『やめて』って言われたことないもん」と、堂々と答えたのでした。

「いやいや、それは相手が我慢して、大目に見てくれているだけかもしれないでしょ」と、Aさんが反論しても、「大丈夫!」と、謎の自信を見せるBさんでした。

素朴な信念

上記2例では、Bさんは、全く悪気はありません。しかし、困りますよねー。

どちらも「人は、自分とは違う受け止め方をする可能性がある」という視点が、完全に抜けています。

自分が好きなものは、相手も好きなはず。そして、自分が気にならないことは、相手も気にならないはず。・・・・と、とても素直に、素朴に、そう信じているんですよね。

ピアジェの「三つ山課題」

さて、ここでピアジェの「三つ山課題」の話に移ります。

ピアジェは、子どもの認知発達について書かれた本には必ず登場する、スイスの心理学者です。

「三つ山課題」というのは、「他者の視点からの、違う見え方を想像できるかどうか」に関する実験です。

大きさと色が異なる三つの山を、粘土か何かで作って設置し、ある地点に小さな人形を立たせます。そして「お人形さんからは、山はどんなふうに見えるかな?」と質問し、正解だと思う絵を選んでもらいます。

すると、4~5歳の子どもは、人形の位置に関わりなく、自分がいる位置から見える山の絵を選ぶのだそうです。

つまり、他の場所からは違う見え方になるはずだということが、まだわからないのですね。

7~8歳になると、「他の場所からは、見え方が違っているはずだ」ということに気づき始めますが、まだ「ではどう見えるのか」という判断は、あいまいです。

「A地点からはこう見えるはず」「B地点からはこう見えるはず」ということが考えられるようになるのは、9~10歳頃だと言われています。

精神的な「三つ山課題」

さて、「善意あふれる、自己中心的な人」の話に戻りましょう。

自己中心的な人は、精神発達面で「三つ山課題」がまだクリアできていない人たちなんだと思います。だから、他の人の視点で物事を考えることができないんです。

「三つ山課題」で不正解の答えを言う子どもに「違うよ、A地点から見ればこれが正解なんだ」と示したとしても、まだその発達段階にない子どもにとっては理解できません。
「そうか、それが正解なのか」とは思うかもしれないけど、理解はできていない。

それと同じで、いくら苦情を言っても、その場では「ごめん、気を付ける」と殊勝な言葉が返ってきたとしても、「自己中心的な善人」には、実際には何にも伝わっていないんです。

だから、改まらない。

自己中心的な人の2タイプ

違う型として、意地悪タイプの自己中心的な人というのも、います。

彼らは、「自己中心的にふるまうのが好きな人」です。相手が嫌な気持ちになったり、不利益を被ったりすることを認知する能力はあるのです。それを知ったうえで「それでも私は自分の意向が一番大事なの」というのが、このタイプ。

今回話題にしている「善人タイプ」は、単に「わかってない人」

困った人ではありますが、彼らに悪意はありません。そこは、美点として認めておきましょう。

子どもを慈しむように

さて、特徴をつかんだところで、その対処法です。

繰り返しますが、善人タイプの場合、彼らは「わかってない人」。そして「おそらく永遠に、わからないままの人」です。だって、50歳すぎて、まだこの状態の精神発達段階だったら、もうこれは、これ以上望めないだろう、と私は思います。

そうであれば、幼い子どもを慈しむように「わからないんだから、仕方ないよね」と、周囲の人間が大きな気持ちで接するしかないのではないでしょうか。

「相手は、子どもなんだ」と割り切りましょう。

「できるはずだ」と思うから、期待と異なる相手の態度にイラつくのです。

もう、無益な期待はしない。

「それは嫌」「それは駄目」と伝えることは、必要だと思いますけど、厳しく叱責しても効果はないでしょう。
幼い子どもに教えてあげるように、丁寧に根気よく、穏やかに伝えましょう。いつか奇跡的に理解できる日が来ることを祈りつつ・・・・。

とにかく、その言動にまともに怒ったり傷つくのは、自分が損するだけ。
なにしろ、相手に悪意はないんですから。ただ、わからない・できない、だけなんです。

そう割り切ることで、ずいぶん気が楽になるんじゃないでしょうか。

さらに、おおらかな気持ちで接するとき、心の中で「私って大人だなあ」と、密かにいい気分を味わうこともできます。

そういう自分も?


割り切りと自己優越感。
これで「自己中心的な善人」さんと、平和な関係を築いていきましょう。

ただ、「もしかすると自分自身が『わかってない人』かもしれない」という視点も、持たないといけませんよね。人間は「出来る人」「出来ない人」の2種類しかいないわけじゃなく、グラデーション。

自分だって、誰かに迷惑をかけながら生きているんだから、お互い様だよね。そう考えることが、一番の対処法かもしれません。

 

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