
今年も、1月17日を迎えました。阪神淡路大震災の日です。
この日の記憶は、後悔と、悲しみ。
私にとっては、弱さと共に生きていくしかない自分というものを再確認する日です。
1月17日、私の震災経験

地震が起きたのは、朝まだ真っ暗な中、「眠いなー、でもそろそろ起きないとなあ」と、ベッドの中でグズグズしていたときでした。
幸い、家族全員、怪我もなく無事だったのですけど、
姉は、布団の位置が少しずれていれば死んでいた という危機一髪な状況でした。
どういうわけか、姉は、普段とは布団を敷く位置を少しずらして寝ていたらしいのですが、普段寝ている場所の、ちょうど頭が来る位置に、ブラウン管テレビ(ごつくて重い)が落下していたのです。いつも通りに布団を敷いていれば、確実に死んでいました。
私自身は、ロフト型のベッドを使っていたんですけど、その背の高いベッドが絶叫マシンに乗っているみたいにユサユサ揺れて、「こんなベッドを買うんじゃなかった」と悔やんだのを覚えています。
ベッドごと横転すると思いましたが、浮き上がった脚部が微妙に壁に引っかかって、倒れずに済んだようです。
家じゅうの家具が倒れ、食器の破片やら本やらが散乱して、惨憺たる状況ではありましたが、このときの認識は、「もしかしたら、倒れた家具で死んだり怪我をした人もいるかもしれないなあ」という程度のものでした。
マンションの窓から、遠くに煙の筋がいくつか見え、「火事になったところがあったんだな」と思いました。
停電が回復したのは夜になってからで、そのとき初めて、炎上する神戸市長田区の映像を見て、「ここまでの大災害だったのか」と衝撃を受けました。
後悔していること

住んでいた家は部分損壊くらいで済みましたし、直接知っている人の中には亡くなった方がなかったので、大きな被害はなかったといっていいでしょう。
それでも、やはり、あの経験は、大きく自分の人生を揺るがすものでした。
感じたこと、考えたことは、いろいろありましたが、一番大きかったのは、「私って、こんなに弱くて頼りない人間だったんだ」と思い知ったことです。
あの日、私は、誰かを助けるという行動をとることが、できませんでした。なんだか、ぼおっとしてしまってたんです。
後で思えば、近所で困っている人がいるのではないだろうかと見に行くとか、もっと積極的な行動が出来たらよかったのにと思います。もはや、当時の記憶が曖昧になっていて、詳しく思い出すことが出来ないんですけど・・・・散乱した家の中の片づけをやったくらいで、そのあと二日くらいは、ぼおーっと呆けていました。
何をしていたんだろう、本当に。
我に返って、避難所になっている近所の小学校へボランティアに行ったのは、たぶん3日後くらいだったと思います。
勤務先である小学校へ行けたのは翌週になってから。当然、そこも避難所になっていて、最初期の大混乱の話を聞くにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものでした。
弱くて不甲斐ない自分…

非常事態に際して、私はこんなに周囲への配慮がなく、行動力がなく、情けない人間なんだ。
そのことを痛みと共に思い出す、1月17日です。
たぶん、受け止めきれなかったんだろうなあと思います。
ボーっとすることで、どうにかこの時期を生き延びた・・・ということなんでしょう。
災害とか、トラウマ的体験に際して、心身の活動を滞らせることで、爆発しちゃうのを防ぐ・・・そういう自己防衛の仕組みが、心にはあるらしいです。(こういう反応は私だけの現象じゃないらしいと知ったときは、少し安堵しました)
誰かに「お返し」をする

今は、その不甲斐なさを認識しながら、あのとき感じた申し訳なさを、日々の暮らしの中で少しずつ「お返し」していきたいと思っています。
大活躍はできなくても、ちょっと声をかけるとか、ちょっと手伝いをするとか、本当にちょっとのことなんですけどね。
「誰かに借りたら、誰かに返そう」という言葉を、当時勤務していた学校の校長先生が言っていました。その年の卒業式で、6年生に語りかけていた言葉です。
「多くの人が、傷ついた神戸のために手を差し伸べてくれた。力を貸してくれた。
助けてくれたその人に対してその恩を返すことはできない。でも、受けたその優しさを、近くにいる誰かに「返す」ことをしていこう。そうやって、あたたかい心を手渡していこう」・・・と。
弱さと共に生きていく
後悔と共に思いめぐらす1月17日。
自分を赦しながら、励ましながら、また新しい日々を始めます。
私は弱い。でも、弱いからこそできることも、きっとある。そう自分に言い聞かせている私なのです。