自由って何だろう③:私の自由とあなたの自由は、同じじゃない

あなたは今、自由ですか?

制約の多い毎日の中で、「はい、私は自由です!!」と言える人は、あまり多くはないかもしれません。

今回の記事では、「自由」について、写真のイメージを借りながら考えていきます。

もしかしたら、違う視点からとらえなおすことによって、あなたが感じている閉塞感が、解消されるかもしれません。ぜひ最後までお読みくださいね。

自由とは?辞書から見ると・・・

言葉って便利なもので、ひとつの語で、あるまとまった概念をサクッと言い表すことができます。でも、その意味するところを、本当に理解しようと思ったら、実はなかなか簡単ではありません。

辞書を編纂した人っていうのは、本当にすごいなあと思うのですが、

goo辞書で「自由」の意味を調べたら、こんなふうに説明されていました。

 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「―な時間をもつ」「車を―にあやつる」「―の身」

 勝手気ままなこと。わがまま。

 freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。

 法律の範囲内で許容される随意の行為。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1/ 2021年12月25日閲覧

 

中には、ずいぶん異なる概念も含まれていますよね。例えば、「主体的であること」「わがまま」では、受ける印象が全く違います。

そして、違う辞書を見れば、また違う文言で説明されているわけです。

言葉だけでもこんなに幅広い意味を持つものを、視覚イメージを使うことで、さらに広げ、ふくらませてみようというのが、この記事の試みです。

今回の記事は、前回、「自由」について考えてみた続きになります。
前回の記事は、こちらです。

自由とは、猫のようなもの

すてきな写真がたくさん掲載されているサイト「写真ac」で、キーワード「自由」を入れて検索したところ、19,045点もの写真が挙がってきました。
その中から、いくつかをピックアップして、「自由」について考えてみたいと思います。

今回ひとつめは、こちら。

猫って、確かに自由な感じがしますよね。

以前、我が家でも猫を飼っていたのですが、飼い主に対して気を遣うということがない。
気が向くと寄ってきて、膝に乗ったり、ミャーと甘え声を出したりしますが、飼い主の方から抱き上げたりすると、「今はそんな気分じゃないのよ」とばかりに素っ気なく拒否されます。寝たいときに寝て、食べたいときに食べて、気ままな生活をしているように感じます。

実際は、猫なりに飼い主に譲歩してくれていたところもあったんだろうけどね。
だって、家の中だけで飼われている場合、「自由に」外を出歩くことはできていないわけです。でも、なぜか、猫の場合、その制限された生活も、あくまでも、猫の自由意志によるもののような気がするんです。「まあ、いいわ、おうちにいてあげるわよ」って。

 

ということで、私が猫の写真からイメージするところでは、「自由」とは、「肩ひじ張らず過ごす」こと。

そして、自由を楽しむコツは、「上手に譲歩すること」なんじゃないかなあと思います。

自由とは、自然な芽吹きのようなもの

ふたつめの写真は、こちら。

植物の名前には詳しくないので、何なのかはわからないのですが・・・。陽光を浴びて、ホロリとほころびかけた芽です。

自然の中で、静かに進んでいく、いのちの営み。

この写真から、私が感じるのは、小さないのちの力強さです。
季節が過ぎゆけば、この可愛らしい姿は朽ちていくのだろうけど、それで終わりではない。このいのちは、ここで終わってしまうことなく、次にどこかで芽吹くいのちにつながっていきます。そして、また季節がめぐりくれば、再びこの柔らかい芽がふくらみ、開くことになる・・・。

 

ここから「自由」について考えるならば、
「自由」とは、可能性を持ち、その可能性が次につながっていくような、力強さをもつものであること。
そして、「自由」が花開くには、時期があるということでしょうか。たとえ今は「自由ではない」と感じる境遇にあったとしても、永遠に縛られたままということではないのです。

自由とは、調味料セットのようなもの

こちらの写真は、和定食屋さんなどで、客席に置いてある調味料セットです。

「なんで、自由っていうキーワードで、この写真?」って思いましたが、「ご自由にお使いください」「自分好みの味にしてくださいね」っていうことでしょうね。

聞いた話ですが、こだわりの十割そばを出すお店に知人が行ったとき、「何にもつけないで、そば本来の味を味わってください」ってことで、麵つゆなどが一切出されなかったらしいです。
究極の、最高のそばなのかもしれないけど・・・私は、その店はノーサンキューかな…と思いました。そこまで繊細な味覚の持ち主じゃないし、何より、「これだけが最上!!」っていう自信が、あまりにも押しつけがましいよなあ、と感じてしまいました。

各テーブルに、調味料が置いてあるというのは、お店の、客ひとりひとりの感覚の違いを許容するおおらかさの表れだろうと思うんです。
調理のプロとして、「これがいちばんおいしいよ!」っていう自信を持って、お料理を提供しているはずですが、「私がおいしいって感じることと、あなたがおいしいって感じることは、同じじゃないかもしれないよね」っていうことも、認めているんですよね。

そして、客は、「塩気がもう少し欲しいかな」と、自分なりに試してみるわけです、プロが提供したものに対して。

 

と、いうことで、この写真から私が考えたのは、
「自由」とは、自分の感覚で吟味し、自分なりの試みをすること。
また、「自由」とは、「人それぞれの価値観を大切にするものだ」ということです。

自由とは、小さな選択からできている

いかがだったでしょうか。

今回取り上げた写真のイメージは、大きな冒険とか、華やかな飛翔ではなく、身近な、小さな「自由」でした。

そして、私たちの人生に必要なのは、こうした「小さな自由」を、少しずつ選び取っていくことなんじゃないでしょうか。人生は日常の小さな出来事の積み重ねでできているんですから。

全く束縛のない、完全に思い通りの人生なんてものはあり得ません。
だからこそ、「ふさわしい時期を待つ」というおおらかさを持ちながら、「ちょっとした味付けを加える」とか、「気が向かないことは、無理しない」とかの、小さな選択、小さな行動を大切にすることで、私たちはもっと自由になれるのではないでしょうか。

ぜひ、あなたの思う「自由」について、聞かせてくださいね。お問い合わせページから、お気軽に感想をお願いします。

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