疲れた心への栄養剤、「遊びの時間」

あなたは、「鬼ごっこ」がすきですか?

おそらく、「休日には鬼ごっこをして遊びます」という大人は、あまりいないのではないでしょうか。子どもが鬼ごっこをするのにつき合うことはあっても、自分の純粋な楽しみとしてこの遊びをする人は、皆無じゃないかなあと思います。

タッチされたらアウト。それだけのシンプルな遊びに、子どもたちは興奮し、本気で笑い、本気だからこそ時には怒り、全身で遊びます。あのエネルギーは、すごいですね。

私は、「鬼ごっこを楽しめなくなったら、子ども時代は終わり」という区分ができると思っています。

楽しい鬼ごっこ、しんどい鬼ごっこ

いつ頃からだったんだろう、鬼ごっこを楽しめなくなったのは。

小学生の頃の、鬼ごっこのことは全く思い出せないんですが、中学生の時の、「あー、大変だ」と感じた鬼ごっこのことはよく覚えています。

同じマンションに住んでいるおチビさんたちの相手をして鬼ごっこをしたのですが、追いつけなかったふりをして逃がしてあげたり、オニの子が疲れ始めている様子が見られればつかまってあげたり(ちゃんと悔しそうな表情と動作をつけて)と、彼らが楽しめるように配慮しながらの鬼ごっこ。とっても疲れました・・・。

あれは「つきあってあげている」あるいは「遊ばせてあげている」という感じでした。

でも、実は、もっと年齢が上がってからの、楽しかった鬼ごっこの思い出もあるんです。

大学生の頃に、合宿のレクリエーションでやった鬼ごっこは、めちゃくちゃおもしろかった。

初めは「鬼ごっこお~⁉やだなあ~」なんて言っていたのに、始まってみるとすっかり夢中。「手つなぎ鬼」のバリエーションで、手を繋げる人数が決まっていて、鬼が端の人と手をつないじゃうと反対側の人は「人数過多」になっちゃうから手を放して、別のグループに手をつなぎに行かなくちゃいけないんです。ハアハア息を切らしながらエンドレスで走り回っていた記憶があります。

 

そういえば、TVで人気の「逃走中」も、大掛かりな鬼ごっこですよね。大の大人が夢中でやっているのは、賞金のためだけではないと思います。

なんでだろう。普通の鬼ごっこより、ルールが少し複雑になっているからなんでしょうか。

遊びと人間関係

ルールのせいもあるかもしれないけど、考えてみると、ひとつ大きな違いに気づきました。

 

大学生の時の手つなぎ鬼では、全プレイヤーが対等な立場でした。

対して、中学生の時の体験では、相手が明らかに自分より弱くて、対等ではなかったのです。

そして、小さい子たちを楽しませようと気を遣っていた私は「サービス提供者」で、子どもたちは「お客様」的な立場という構造にもなっていました。あれは「遊び」じゃなくて、ほとんど「仕事」だった気がします。

 

遊びは、本気で遊ばないと楽しくない。

そして、本気で遊ぶためには、気遣い不要の対等な人が相手じゃないといけないんですね。

 

そう考えると、もしかすると、人生のパートナーを選ぼうとするときには、一緒に遊んでみることが有効かもしれないですね。遊んでいて「相手を勝たせて喜ばせてあげよう」なんて気を遣ってしまうようだったら、その相手は、きっと人生を一緒に過ごすのには合わない人だ・・・っていう判定ができるかもしれないな、なんてね。

遊びはなぜ大切か

教育学者の汐見 稔幸さんは、遊びがいかに大事なものであるかについて、次のように言います。

遊びは子どものいわば本能的な欲求の表現です。したがって、それを十分に行えないということは、子どものもっている本能的な欲求が実現できないでいることにつながる可能性があるということになります。(中略)一般に、現代の子どもたちは、一方で遊びを思いっきり楽しみたいという本能的な欲求が十分に満たされない状態でいることが多く、他方で人工的に作られた世界に早くから適応することを強いられるために、自分のDNAに貯えられているその子らしい活動の型を解放させることがうまくできないでいる可能性が高いと言われています。そのため、その子らしく育っていくプログラムがうまく作動せず、周囲に合わせる自我が肥大化してしまう傾向が高くなっているといわれているのです。

(引用文の一部を、名田が太字にしました)

「これが、ボクらの新・子どもの遊び論だ (子どもの文化21世紀ライブラリー)」(2001年、童心社)より、

Ⅲ 汐見 稔幸が語る「遊び論」「子どもの遊びってなんだろう 〈遊びと保育〉の原理論の試み」p.132)

 

汐見さんの「遊び論」は、子どもの遊びについて書かれた文章ではありますが、大人にとってもあてはまるのではないでしょうか。

世の中への順応が求められ、なんとか適応して生きていく中で、自分らしさを発揮できないでいるのは、ほとんどすべての人がそうだと言えると思います。

 

そうであれば、ノルマに囲まれて遊んでばかりはいられない私たち大人こそ、意識して、遊びの時間を持つ必要があるのではないでしょうか。

遊びの時間を作り出そう

今となっては、さすがに鬼ごっこは体力的にきついので、やろうとは全く思いませんが、
とにかく時間を忘れて夢中になり、集中し興奮を感じる、そんな時間を作り出したいと思います。

先ほどは、遊び仲間の対等性について書きましたけど、遊びって、必ず誰かほかの人と一緒にしなくちゃいけないってものでもないです。ひとりで遊ぶのでも、全然かまわない。

 

ということで、さて、私が夢中で遊べることといったら、やっぱりアートかな。
ぐりぐりクレパスで塗りこんだり、鉛筆で描きこんだりしていると楽しいです。この記事を書き上げたら、早速、お絵描き遊びの時間にしようと思います。

 

遊びに関しては、次の記事もよかったら合わせてお読みください。

 

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